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P.S.

今日は「ヒーローって、どんな人だろう」について。

女性なら「ヒロイン」なんでしょうけど、私が感覚としてもっている「ヒーロー」は男女ともに当てはまります。

公開日翌日にみた「鬼滅の刃」に影響されてるのかもしれないですけど

それを差し引いても、やっぱり「才」や「力」を世のため人のために発揮できる人は、ヒーローだなと。

戦いに勝っても、それが個人のためだけであれば黒星がついてもヒーローにはなれないんじゃないか。

スポーツ選手のなかには、「スポーツを通じて、子供たちに生きる素晴らしさを伝えたい」とか

医療従事者のなかには、「医療の力で人を守りたい、幸せになってほしい」とか

会社経営者のなかには、「この事業を通じて世の中を豊かにしたい」とか

教師のなかには、「教育を通じて豊かな人生を歩んでほしい」とか

まだまだあげたらキリがないんですけれど、何かしら今やっている業務の「先」に、世のため人のためになる、真の目的がある人はヒーローだな、と思います。

雇用されている側でも、世の中をよくしようと目の前のことに精をだしたり、もっと至近距離でいうとたとえばチームの人や他部署の人が「これができない」「苦手だ」と頭を抱えていて

それが自分にとって得意なことだったり、できる!と感じたことだったら惜しみなく力を発揮して助けてあげる。

こういうシーンにおいて、助けてもらった側からすると彼らはヒーロー。

ママを守るんだ!って言ってくれるチビッ子も立派なヒーロー。

私は助けてもらってばっかりの側なんですが、かっこいい!って思いますよね。

何歳になってもどこにいても、自分の無力っぷりにガッカリすることもたくさんあるけれど、それを恥じることはあっても隠さずに、卑屈の谷におっこちないように踏ん張って目的に向かって走り続ければ、必ず高い能力と情熱をもったヒーローたちが助けてくれるし仲間ができているものですね。

まるで冒険の物語です。キレイごとかもしれないけれど、そう思います。他力さまさま。

どうしたって自分の人生は自分が主人公(主観)だけど、必ずしも主人公=ヒーローではないわけで。

だけど、それを知っているから、まわりに助けてもらいながら関係人口をガンガン増やしてストーリーが展開するわけで。

そうこうしていうちに、第●章くらいで、いつのまにか自分が誰かのヒーローになっているのかもしれない。

昨日のPickupNEWSで紹介した、福岡のうどんやさんの中国人の店主だって、恩返しの想いが行動にあらわれて、いつのまにか自分がヒーローになって感謝されました。

そういう好循環が、人の生涯における味わい、情緒なんだなと思う、秋。


広報室・弊社のヒーローたちに感謝をこめて、のざわ

#さて 「ヒーロー」は何回出てきたでしょう?

―闘うあなたの、コウホウ支援―


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