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原ノ町駅の利用は震災前に戻るのか

こんばんナマステ💚Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️

日本人にとっての時代の区切りは干支の12年か伊勢神宮式年遷宮の20年なんだろーな。

3月11日になっても、東日本大震災を振り返る投稿はSNSでそんなに見なくなった。

これがいいことか悪いことかは判断しかねるけど、ふと気づいたデータがある。

南相馬市の中心駅、原ノ町駅の乗車人数について。

震災前年2010年が1,679人なのに対して、コロナ前年2019年が1,031人と激減しているということ。

これには明確な理由があって、津波と原発事故で浪江以南は2020年まで復旧しておらず、いわき・東京方面に直接行くことができなかったから。

仙台方面も線路が寸断されていた2012〜2016年が600人前後だったのが、2017年以降1,000人前後に回復することからもネットワーク効果はよくわかる。

さて、2020年3月に悲願の全線復旧を成し遂げた時には社会は一変していた。

結果的に2020年と翌2021年は800人台に激減してしまう。

2022年は多少は回復するだろうけど、やはり2023年の数字が気になるよね。

かといって震災前の1,700人前後には戻らない可能性が高いと思う。

それは何故か。

まず、震災前は原ノ町まで1日6往復の特急が来ていたのに、復旧後は3往復しか来ない。

その理由としては、皮肉にも震災の6日前に登場した新幹線はやぶさで仙台に行って、常磐線の普通列車に乗り換えた方が速くなってしまったから。

実際この当時、いわきでの系統分離が提示されていた。東京から原ノ町への直通需要は減ると考えられてたわけね。

ただし、大野や富岡など原発の作業員は東京方面からの利用の方が多かったはずで、このような駅に分散して停車していたのはそういう理由だった。(福島原発までを関東エリア管轄としている工事関係の会社が多かった)

しかしそれだけなら、むしろ仙台を介して東京と原ノ町を行き来できる回数は増えるので需要は増えそうなもの。

だけど、復興名目で建設が後回しにされていた常磐道が整備されたこともあり、東京からも仙台からも高速バスが走るようになった。

もちろんそれによってマイカーで移動する人も増えただろう。

ということで利用はそこまで増えないと思われる。

ちなみに南相馬市に関しては人口は減っていない。自然減はあっても原発周辺からの疎開者で埋めていた部分もあるし、復興工事が大きな産業になったこと、また元々相馬藩の意識が強く日本人であると同時に相馬人であると考えるようなアイデンティティもあるみたい。

したがって駅の利用者が減るのは原発周辺地域の人口減少(10年も疎開してたら流石に帰ってこない人が多い)はあるにしても、ほぼ鉄道のひとり負けだといえる。

ちなみに仙台側の復興工事の拠点だった南相馬に対して、東京側の拠点だった広野では駅の利用者数が減っていない。

鉄道需要を喚起したければ、今のように11両編成の特急が3往復というのではなく、3両編成が11往復というくらいはやらなきゃダメ。

8両編成+3両編成にして、いわきで8両編成を切り離して3両編成にすればいい。また、以前は勝田まで14両編成の特急が存在した。需要に合わせて勝田まではもう3両編成を連結してもいい。

こういう小回りのきくオペレーションこそ被災地の復興に繋がるし、高速バスに対抗できて鉄道の復権につながるんだけどなぁ。

それじゃあバイバイナマステ💚暑寒煮切でしたっ✨








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