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イエス=キリストの使徒トマスは本当にインドにやってきたのか

はじめに

こんばんナマステ🤍Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️

いよいよクリスマス🎄ということで、今夜はClubhouse『インドの衝撃(インド大学)』でインドにキリスト教を齎したとされる使徒トマスについて喋ったので、それをまるまるテキストにしていくね💫

音声版はこちら(約44分)

インドといえばヒンドゥー教が圧倒的でありつつ、10世紀以降のインド史の主役でありパキスタンとの分離を経てもなおイスラームも多い。

また、シク教やジャイナ教のイメージも強いが、実際にはヒンドゥー教、イスラームの次に信徒が多いのはキリスト教。

比率は2.3%ほどと少ないけれど、実際の人口は3,000万人にのぼり、キリスト教徒の多いオーストラリアが人口2,600万人であることからしても非常に多い。

旧イギリス植民地であり、もっと昔を辿ればポルトガルの影響が強いと考える人も多いだろう。

例えば日本にキリスト教を持ち込んだフランシスコ=ザビエルがゴアから鹿児島にやってきたことを覚えている人もいるはず。

実際、西インドや南インドの沿岸部ではポルトガルの布教によるカソリックが多いけれど、インドにおけるキリスト教の歴史はそんな最近のことではなく1世紀からあると言われる。

グレゴリオ暦の紀元自体がイエス=キリストに基づいたものであることを思えば、ごく初期からのキリスト教圏ということになるよね。

インドにキリスト教を齎したのはトマスという人物といわれており、現在でもインドのキリスト教徒のなかではトマスを聖人として崇める人が多い。

今日はそのトマスについて見ていきたい。

イエス=キリストと使徒トマス

キリスト教は「ナザレのイエスをキリストであると信じる宗教」であり、今日において世界人口の3割を数える世界最大の宗教。ただし、人口増加の著しいイスラームに今世紀中には追い越される見込みではある。

ナザレのイエスは紀元前後に生きたユダヤ人。実際には紀元前の生まれといわれ、現在のイスラエル北部にあるナザレで育ち、ユダヤ教を斬新に解釈したが故に迫害され、処刑された人物。

しかしその斬新な考えに共鳴した人もおり、彼らはイエスをキリストであると考えた。

ユダヤ人の間では唯一神に選ばれた救世主が世の中を救うという考え方があり、ダビデ王などが有名。

救世主はヘブライ語でメシア、ギリシャ語でクリストスと呼ばれ、このクリストスがキリストの語源。

ユダヤ教徒の大半はイエスを救世主とは認めなかった。

また、イスラームではイエスを救世主ではなく唯一神から言葉を預かった預言者のひとりであると考え、最後にして最大の預言者ムハンマドのパイセンという位置づけ。

ユダヤ教、キリスト教、イスラームに共通していえるのは唯一神を崇拝することで、ヘブライ語ではヤハウェ、ギリシャ語ではテオス、英語ではゴッド、アラビア語ではアッラーという。

アッラーはイスラーム固有の神と思っている人がいたら大きな間違いで、固有名詞ではなく一般名詞。

例えばアラビア語のキリスト教聖書でも唯一神はアッラーと書く。

日本語というか漢字文化圏では神道や道教からの流れで神と呼ぶことが多いが、唯一神の特性に合わせて創主、創造主、主、天主などの呼び名もある。

キリストはしばしば神の子と呼ばれたりもする。

先日のサッカーワールドカップ⚽️で劇的なアルゼンチン🇦🇷優勝へ導いたリオネル=メッシはその天才的なプレイから神の子と呼ばれるけれど、その元ネタはここにある。別にメッシのためにつくられた表現じゃない。

イエス=キリストは人間の両親からではなく、神が聖母マリアに処女懐胎を施して生まれたと信じられている。今でいえば代理母出産❓

イエスの弟子たちは使徒と呼ばれた。エヴァンゲリオンの元ネタはここから。

処刑の前夜、イエスは使徒のなかでも幹部クラスの12名である十二使徒と一緒にディナーを過ごし、「使徒のひとりが私を裏切る」と予言する。

これがかの有名な最後の晩餐で、このときにイエス含めて13人で過ごしたことから13という数字がキリスト教圏では忌み嫌われている。

そしてイエスの予言通り、十二使徒のひとりイスカリオテのユダの裏切りでローマ帝国に密告され、イエスはイェルサレムにあるゴルゴダの丘で十字架に磔にされ処刑される。

今でもキリスト教圏では裏切り者のことを英語ではジューダスなどユダと呼ぶ。

そしてイエスは処刑の3日後に復活する。

その時十二使徒は家に籠っていたけれど、外で実際にイエスに出逢った信奉者たちは、会いたかった~イエスととても喜ぶ。

こっちはマイナーコード。

だけど、復活したイエスの噂を耳にして、そんなん信じられないんだけど💦と言った人がただ一人だけいる。

それが、十二使徒のひとりであるトマス。

そしてイエスはトマスの前に現れ、トマスは初めてイエスの復活を確信してひざまずいた。

処刑された時に釘で刺されたわき腹の傷に触ったと思っている人がいるけれど、触ってはいない。

イエスの復活の噂を聞いた際に「触んなきゃわかんない」と言い放ち、トマスの前に現れたイエスはエスパーの如くその発言を知っていて「トマス、触ってみろよ」と言った。

それにビビったトマスがひざまずいた、ということ。

このエピソードから疑心のトマス、疑いのトマスなどと呼ばれたりする。

なお、イエスの処刑を追憶するのがグッドフライデー(聖金曜日)で、翌々日の日曜日が復活を祝うイースター。ゆで卵食べる日ね。

グッドフライデーからイースターまでがキリスト教では最も重要な3日間で、多くの国ではグッドフライデーを休みにして3連休になる。ちなみにインドもグッドフライデーを祝日にしているため、インド大使館は容赦なく休む。

イエスの復活は処刑の3日後とされているので、金曜日と日曜日の関係はちょっと変なんだけど、日没から1日が始まると考えるなど、ちょっとしたことでズレている。これは諸説あるけども。

トマスは元々ちょっと情熱が空回りしたキャラであることがイエスの生前から描かれていて、例えばイエスの親友が亡くなったとき、イエスが彼と心中すると勝手に思って「私達も一緒に死のうではないか」と他の使徒の前で熱弁を振るってみんなぽかーんとする、というエピソードがある。

とりまイエスへの忠誠心はトップクラスだし、こーゆー人って不思議と結構かわいがられるんだよね。

なお、「ディディモと呼ばれるトマス」という言い方があるんだけど、ディディモはギリシャ語で双子なので、双子という意味のトマスということになる。トマスはアラム語ね。

アラム語は昔の中東で話されていた言語で、ヘブライ語やアラビア語と比較的近いセム語派のひとつ。現在でも少数の話者がいるので消滅言語ではない。イエスもアラム語を話していた。

中途半端に訳すからディディモが固有名詞なり、トマスの名前の一部のようなイメージを持たれてしまっている。

キリスト教に関する用語はヘブライ語、アラム語、ギリシャ語、ラテン語が入り乱れていて、こーゆーことが起きる。

トマスの東方見聞録

ここまでの話は『新約聖書』に載っている話で、割と簡単に読むことができる。

聖書は唯一神とそれを信じる、というかそれに服従する人々の営みを描いたものでユダヤ教からの伝統。

『新約聖書』はナザレのイエスがキリストとして生まれて、その生涯を描いたものでキリスト教でしか用いられないのに対して、『旧約聖書』はアダムとイヴとかモーセとかが出てくるユダヤ教とキリスト教共通の聖典。全部じゃないけど、イスラームでも用いる。

ただ、『旧約聖書』という言い方はキリスト教サイドからのものであって、ニュートラルな立場からは使うべきじゃない。色々言い換えはあるんだけど、今回は本題じゃないので触れないでおく。

んで、ここから書く話は『トマスによる福音書』というものに書かれているんだけど、マタイ、ルカ、マルコ、ヨハネのそれと違い『新約聖書』には含まれていないため外典(アポクリファ)と呼ばれている。結局、どれを本物の『新約聖書』に含めるかは後世の人が決めたんだよね。

『トマスによる福音書』は1945年にエジプトのナグ=ハマディというところで発見された写本に含まれていたもので、コプト語で書かれているけれど恐らくはギリシャ語からの翻訳。

ナグ=ハマディ写本のなかにはプラトンの書物とかも含まれているけれど、その多くはトマスの生涯よりも後に流行ったグノーシス主義という思想に基づいて書かれている。世界史や倫理でなんとなく習った記憶あるでしょ❓

軽くだけ説明しとくと、知識を意味するギリシャ語がグノーシスで、人間はグノーシスを持つことで救済されるという考え。とにかく二元論でなんでもかんでも語ろうとして、この世を創ったのは偽の神だから我々は苦しい想いをする。グノーシスを会得して物質という悪から解放されて霊という善にたどりつけ、なんてことを言う。

これって全知全能の唯一神がこの世のすべてを創ったとするユダヤ教・キリスト教の否定のはずなんだけど、不思議とキリスト教と融合しちゃうんだな、これが。

ササン朝ペルシアではグノーシス主義を基軸にしたマニ教という宗教も生まれたくらい。これ、仏教からユダヤ教までの要素を取り込んだ結構すごい宗教なんだけど、ほぼ現存しない。かつては東西の文化が集まる世界最大の港だった中国福建省の泉州(ザイトゥーン)に寺が残るのみ。なお、浄土宗と融合したため、日本にもグノーシス主義の痕跡は残っているといえる。

ってことで時系列的にトマスが書いたというのは考えにくいし、グノーシスうぜぇ😡ってことで『新約聖書』からは排除されたと考えられるわけ。

前置きはそれくらいにして、こんなストーリィ。

イエスが処刑→復活→昇天したあと、残された使徒たちは世界中にイエスの教えを広めていこうという話になりくじ引きで宣教先を決める。トマスはインドへ行くことになった。

これでみんなバラけてよかったんじゃないかな。カリスマで繋がってる集団って、それがいなくなると途端に揉め出すから。東池袋大勝軒みたいにさ。

イエスよりずーっと昔の紀元前4世紀には、アレキサンダー大王がインドまで征服していたから、当時の中東の人はインドを知ってて当たり前。

そしてトマスはインドに辿り着き、グンダファルという国王に宮殿を建てるよう言われてお金をもらう。

この人はパルティア王国を建てたゴンドファルネスのことで、パルティア王国は今でいえばパキスタン🇵🇰、アフガニスタン🇦🇫、そしてインド🇮🇳の北西に跨っていた王国。

だけどトマスは国王からもらったお金を貧しい庶民に配ってしまう。それなのに国王には「宮殿はもう建ちました」などという。どこかの島国の与党と癒着しているゼネコンより酷い😨

当然国王は怒ってトマスを牢屋に入れるんだけど、病死した国王の弟ガドがトマスが天国に建てた宮殿を見て、そして天使たちはガドの魂を現世に戻す。

そしてガドから真実を聞かされた国王はトマスを釈放して、キリスト教に帰依したという。

トマスはさらに南インドまで行き、異教徒に刺されて殉教したといわれる。

インド的にはそこまでだけど、スリランカ🇱🇰の聖山アダムスピーク(スリーパーダ)にはトマスの足跡と呼ばれるものがある。

もっともこれ、仏教徒は釈尊、ヒンドゥー教徒はシヴァ神、ムスリムはアダムの足跡だって言い張るんだけどね。なんだかんだ諸宗教の人がみんなここに巡礼するのが面白い。

これ自分じゃないんだけど、以前『インドの衝撃』でアダムスピークについて語ってくれた方のポッドキャストあるので聴いてみてね。(約29分)

実際、スリランカでもトマスの教えを受け継ぐキリスト教徒が少なからずいて、ポルトガル🇵🇹が入ってきて

🇵🇹「おい、キリスト教というありがたい教えを教えてやる」

🇱🇰「は❓ずーっと昔からそんなの知ってるんだけど」という状況になった。

スリランカでもインドでも、トマス派と呼ばれる彼らのなかでポルトガルのカソリックに編入されていく者とそーでない者に分かれた。後者はシリア正教会と交流を深めた。

どっちにしたって、インドやスリランカのキリスト教徒にとってトマスは絶対的な存在であって、トマスが眠るとされる地はポルトガルが敬意をこめてサントメと呼んだ。ポルトガル語で聖トマスね。

後から入ってきたイギリスはそれを理解せずマドラスに変え、インド独立後の1996年にポルトガルよりも昔の地名にするということでチェンナイになった。

使徒トマスは本当にインドに行ったのか

んで、本題なんだけど、今のところトマスのインド伝道を裏付ける史料は何にもない。

グンダファル国王の発行したコインが近年発掘されだけれども、トマスのことはなーんもわかんない。

ただ、かなり早い段階からインドはキリスト教文化圏に組み入れられていたのは確実。

キリスト教はローマ帝国以降、ヨーロッパの宗教として発展していった、という認識があるならそれは改めてほしい。

確かにローマ帝国とは切っても切れない関係だし、ローマ帝国の分裂が東方正教会とローマカソリックの分裂にも反映されたけど、ローマ帝国の及ばないもっと東にもキリスト教は伝わった。

それらを東方諸教会というけれど、インドは東方諸教会圏からポルトガルによって西方教会圏に組み入れられた。

トマスがインド、さらにはスリランカまで辿り着いたかどーかはわからないけど、ただこの時代に中東とインドの間には人の行き来はあったので本当に行ったとしてもそれは全然不思議じゃなく、インドにキリスト教が伝わったのはオーパーツでもなんでもない。

個人的な推測としては、『トマスによる福音書』がグノーシス主義者によって書かれて以降に後付け的にトマス伝説がインド、さらにはスリランカに根付いた気がしている。

使徒トマスゆかりの地に行こう

というのをClubhouseの方では話したんだけど、今日の記事では書かないでおく😜

というのは明日以降の記事でこのへんを語っていこうと思っているので。

乞うご期待。

おわりに

今年最後の『インドの衝撃』講義を終えたぜ‼️

実は昨年もクリスマスのキリスト教ネタで終えていて、今回の話との重複も多少ある。(約55分)

明日からはこちらをやっていき、そこでトマス関連の史跡にも触れていきたいと思う。

それじゃあバイバイナマステ🤍暑寒煮切でしたっ✨

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