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アジア最強LCC✈️エアアジアの明日・後篇🇮🇳藍は紅より出でて~混沌の闘いの出口

はじめに

インスタ、twitterでお伝えしてるように今日は用があって仙台に弾丸で来てて、明日は仙台の話を書こうと思うけど、

今日は一昨日、昨日からの引き続きで #エアアジア のおはなし🛩

#Clubhouse#インドの衝撃 ( #インド大学 )』で24日月曜日に話した内容のテキスト版。

ただ、Clubhouseでは色々端折ったので、こっちは加筆量が多くなってます。

ここまでのnote版はこちら‼️

音声版はこちら‼️(約20分)

最終話は #インド 🇮🇳篇。

果たしてエアアジアのやり方はインドで受け入れられたのか、ということをこれから書いていくよ〜。ではでは、テイクオフ🛫

遥かなる天竺🇮🇳

昨日も書いたように、マレーシア🇲🇾とタイ🇹🇭で成功したエアアジアは近隣で国内線需要世界5位のインドネシア🇮🇩のみならず、2位中国🇨🇳、3位インド🇮🇳、4位日本🇯🇵とアジアの需要大国にどんどん進出し、シェアを伸ばそうとしていた。

東は日本から西はインドまでを制圧すればエアアジアを名乗るには確かに相応しい。

そのなかでもインドは創業者の #トニーフェルナンデス の父親がインド系(ゴア系)というよしみもあり、思い入れも強いはずだ。

それではそんな強い想いを持って臨んだインドはどんな状況だったのか。

パートナーはインド航空界の創業家

2013年、インド政府が航空会社に対して49%の外国資本による直接投資を解禁したことを受けて、エアアジアはインド市場に参入。

パートナーに選んだのはインドを代表する財閥である #タタ =グループ。これだけなら他の国でもある展開だけど、タタというのはちょっとまた別格の存在なのね。

1932年、現パキスタン🇵🇰領のカラチからボンベイ(現ムンバイ)🇮🇳までのインド航空史初の商業飛行に成功したのはタタの4代目J.R.D.=タタだった。これを1938年にタタ航空として事業化したものの、インド初代首相ネルーの意向で1953年に国営化されてしまう。これが #エアインディア 🇮🇳だった。

これ以降、タタ=グループは航空事業への復帰を悲願にし続け、J.R.D.からラタン=タタに代替わりしてもその想いは持ち続けた。いわばインド航空界そのものの創業家なのだ。

そんなタタ家を60年ぶりに航空業界へ引っ張ってきたことはインド航空史を動かす大きな意味を持つといえる。

そしてエアアジアとタタが組んでインド初の外航子会社として #エアアジアインディア 🇮🇳が設立された。

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さらにタタは翌2014年にシンガポール航空🇸🇬と組んで高級エアラインの #ヴィスタラ 🇮🇳を立ち上げ、LCCと高級エアラインの二刀流でインド航空市場に切り込んでいくことになる。

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実はClubhouse『インドの衝撃(インド大学)』では、昨年8月25日にヴィスタラ、10月18日にエアインディアの講義をしていて、その時もこのあたりの話をしている。

そのうちnote化もしようと思っているけど、ひとまずこちらも聴いてもらうとよりイマジネーションも膨らむかも。

藍色に染まるインドの空模様

ここでエアアジア、ヴィスタラが入ってきた2010年代のインドの航空業界を俯瞰してみる。

1991年の #経済自由化 まで国際線はエアインディア、国内線は #インディアン航空 🇮🇳というどちらも国営の航空会社が独占していたけれど、

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以後は様々な航空会社が入ってきて競争になり、エアインディアとインディアン航空も双方の縄張りに入り込む闘いになった結果2007年に経営統合、2011年にインディアン航空のブランドは消えた。

90年代からゼロ年代前半を席巻したのは #ジェットエアウェイズ 🇮🇳だった。エアインディアやインディアン航空よりやや安く、いいサーヴィスを提供して彼らを縮小的な合併に追い込んだ。

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しかし、ゼロ年代中葉に #LCC (格安航空会社)が軒並み誕生すると、ジェットは少なくても「安い」という強みは失った。なかでも急成長するLCC勢のなかでも、安さといいサーヴィスを両立させている #インディゴ 🇮🇳はLCCに乗る層だけでなくFSC(フル=サーヴィス=キャリア、LCCの対立概念として既存航空会社をこう呼ぶ)に乗る層にも訴求した。

余談だけど、自分がインド国内で航空券を手配する時は区間や時間的にLCCしかない時はお客様に了承を得るけど、インディゴの時は何も聞かない。

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2010年代に入るとインディゴの牙城は揺るがないものになり、FSCのジェットや #キングフィッシャー航空 🇮🇳は倒産に追い込まれ、エアインディアも政府による売却(民営化)が取り沙汰されるようになる。

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こんな状況のなか、他のLCCより10年遅れてやってきた新参者であるエアアジアは先駆者達を出し抜くのが難しい状況だった。インディゴは当然として、LCC2番手の #スパイスジェット 🇮🇳や3番手 #ゴーエア 🇮🇳のシェアも崩せない状況。

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ヴィスタラは航空需要全体のシェアは無くとも高級イメージがインド人の中で大きく浸透して、独自の道をいくことが出来た。高級路線だったキングフィッシャー航空がヴィスタラが始まる前に無くなったのも大きい。だけどエアアジアは何だかな、という感じ。競合がこれだけいるなかであえて選ぶメリットがあまりない。

2021年の航空シェアはインディゴが54.8%、エアインディアが12%、スパイスジェットが10.5%、ゴーエアが8.8%、ヴィスタラが7.3%、エアアジア=インディアは5.9%となっている。

全社赤字なのは当然にしても、2010年代にシェア40%台だったインディゴが、コロナ禍のどさくさに紛れて過半数を制圧していたのだ。

エアアジアとタタ、それぞれの道

コロナ禍に入った2020年、エアアジアの持つ49%のエアアジア=インディア株式のうち32.67%をタタに売却した。そして残り16.33%の株式も近いうちに売却するとしている。

コロナ禍で事業の再構築を迫られるなか日本同様シェアの低い国からは撤退モードに入っているようだ。

一方で、タタは2021年にエアインディアを買い戻す悲願を達成。タタ傘下ののヴィスタラ、エアアジアを含めれば25%程度のシェアとなり、トップランナーのインディゴに対する「 #チャレンジャー 」としての資格を得ることになった。

ここでいう「チャレンジャー」はマーケティング用語で業界2番手(シェアによっては3番手も)を指す言葉。一般的にはトヨタに対する日産やホンダ、セブンに対するファミマやローソン、我々の世界でいえばJTBさんに対抗するH.I.S.さんやKNTさんといった位置付け。ある程度のシェアを持ってないと業界のリーダー企業に対して勝負を仕掛けることすらできない。

エアアジア保有株式の完全売却は秒読みに入っていると報道されていて、完遂すればエアアジア=インディアはタタの完全子会社になると同時にエアインディアの子会社として同時に買収したエアインディア=エクスプレスとの統合が噂されている。

両社の統合が実現した場合は57機体制となり、ゴーエアの59機と伍し路線や便数の拡充が可能になる。

タタ=グループ内でのどのような再編が行われるかはまだわからないが、エアアジア=インディアとエアインディアという2つの航空会社が生まれ変わることはインドの航空業界に大きな刺激を与えることは間違いない。

結局は東南アジアの最強LCC

東南アジアでは圧倒的に強いエアアジアだけど、日本やインドでは苦戦し、進出を伺っていた中国も頓挫している。というのがこれまでの3回で書いてきたこと。

東京五輪で金メダルを獲得したASEAN諸国の選手には永年搭乗無料権を与えることを発表するなど、エアアジアの軸足は東南アジアへの選択と集中に向かっているといえると思う。エア=サウス=イースト=アジアでええんちゃうの❓

東南アジアを中心に結成されたLCC連合 #ヴァリューアライアンス は明らかに反エアアジア連合で、エアアジア憎し(笑)の #バニラ 🇯🇵も参加していたけれど、バニラと統合したピーチやインドのLCCはヴァリュー=アライアンスへの関心を示していない。

LCCに関していえば、日本やインドは東南アジアとは別個の市場であるということだろうと思う。長距離LCCもあるけど、基本的にLCCは短距離で活きるモデルだからね。

折り返し時間を短縮して、FSCが1機で4往復するところを5往復も6往復もするとかさ。これが長距離になるとあんまり意味がなくなってしまう。座席も狭くして多くしたり、機内食や荷物預かり有料などの施策も長距離では不満が噴出する。

短距離便中心になれば、地域文化に密着したものになりやすいので、エアアジアのように一律のサーヴィスをどこへ行っても求めたがるのは厳しいのかなって思うところ。

エアアジア=インディアについて去就が決まればこのnoteでも取り上げていきたいと思う。

おわりに

ってなことで明日は仙台の話を書く予定。

Clubhouse『インドの衝撃(インド大学)』では、2月7日月曜20:00〜「インドの山岳鉄道」、3月1日火曜20:00〜「インネパレストラン」も決まってるのでそちらも宜しくお願いします❣️










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