個人的なプレゼンのアンチパターン
この2年ほどはプレゼンテーションの機会をいただく機会が増えたのもあり、プレゼンテーションについて勉強してみました。売られている書籍には書かれていないけど、個人的にアンチパターンだとおもっているものがあるので、それを紹介しようとおもいます。かなり個人的なので他の人がつかっていたときに、それがあまりわるいとはおもっていません。もうすこし具体的にいうと、自分ではうまくつかえる気がしないテクニックというといいのかもしれない。よかれとおもって導入するのだが結果としてわるくなってしまうことがあるのでアンチパターンとしています。
まず、参考になるプレゼンテーションの書籍は次の3つです。それぞれ方向性がちがうプレゼンについて書いてあるので、この3つをよんでおけばだいたいおさえられるみたいなかんじになります。
で、それぞれでたぶん明確には言及されていないんだけども、自分が避けているプレゼンテーションのパターンがありますので、ちょっと紹介しようとおもいます。たぶん、ここ2年くらいではやっていないはず!!!
1. 辞書、Wikipediaの引用
プレゼンテーションの冒頭でキーワードの辞書的な定義を引用して、そのあとに「これだとなにいっているかわからないですよね」「かんたんにいうと、こういうことです」という流れのことです。他にも単語の語源をさかのぼって、説明をしていくことです。
単語について正確にあろうと勉強して、プレゼン中に正しい用語のつかいかたをすること自体はとても重要な振舞いです。また、あまり一般的ではない用語について説明するときに、「これはこういった意味でもちいられる用語です」と説明するのはとても大切です。
ですが、わざわざ辞書的な定義をもちいて説明して、これはわかりにくいといって、自分の解説をもってくることに何の意図があるんでしょうか。辞書における定義を丁寧に説明するのであれば、わかりますが、自分の解釈をもって説明するのであれば、そもそも辞書を引用する必要はありませんし、辞書よりも自分の定義がすぐれているとおもっているのであれば、かなり傲慢だとおもいます。
また、語源から考えていくのも、勉強としてはかなり有効だとおもいますが、そこからテーマについて話をふくらませていく方向というのは、あまり筋がよくないとおもいます。語源となっているものと、現代でのその単語のつかわれかたというのは別のものであって、語源がどうであったからといって、その単語において、語源のなにかの要素をもっていなければいけないという論理は成立しません。言葉に縛られるべきだという主張をもっているのであれば、別でしょうけど。語源にはこれがあって、現代ではそれは文脈がないのだけど、語源から着想をえて、こういったことを取り入れるといいのかもしれないとおもった。くらいであればいいとおもいます。語源がこうだから、こうすべき。みたいな主張は基本的には不要だとおもいます。
2. 範囲限定なしでの説明、提案、断定。主語が大きい。
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