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看護の道を選択するまでのハードルがかなり高かった

今回は、前回の続き。
看護と決めた理由ではなくて、
看護に決めるまでに悩んだあれこれを記します。

1.グラフィックデザイナー

画像加工やオシャレな文字を書くことが好きで、卒アルのクラスページを担当したりしていました。ほかにも、部活のTシャツのデザインを1から作ってみたり。上手くは無いけど、それなりに良いやつを作ってた。だから、自分向いてんじゃん?と思いデザイナーの道を考えるも、自分がデザイナーになっている姿が全く思い浮かばなかったのと、デザインよりももっと素敵な強みが私にはあると思い、やめました。

2.マネージャー

これは、私の人のため精神を、看護でなく、芸能で活かそうという考え方。俳優さんが好きで、多いときはドラマを週8で観ていた私にとって、ワクワクする環境なのでは?と思ったんです。でも、そこで大きな芸能人のマネージャーにつけるかはわからないし、撮影の裏側を見てショックを受けてしまうかもしれないし、俳優さんたちの苦悩などを見たときには、ドラマや映画を今のようにワクワクした気持ちで見れなくなるかもしれないと思ってしまったんです。私の中で、芸能界は娯楽の存在としてあってほしかったから、芸能界へ踏み入れるのはやめました。

3.友達

私は演劇部でミュージカルをしていました。
よって、文学や演劇が好きな人が多く、私以外の同期のメンバーはみんな文系。(私だけ、理系。寂しかったー。)
そのため、文学や演劇を学ぼうと思っている同期が多く、女優に興味があると言っている人もいます。
部活のメンバーだけでなく、映像や写真を使ったクリエイティブなことがしたい幼馴染や、地下ドルの経験を経て裏側の仕事に回り、いつか事務所をつくると意気込んでいる他校の友達など、きづいたら、私の周りには、そーゆー、表現系の友達がいっぱいいたんです!!!!!
だから、自分はこれで良いのかな、こんな現実的な女でいいのかな、と本気で悩みました。
なんか自分、超つまらなくない?って。
全くそんなことないのに。

ほかにも、文系大学生みたいなキャンパスライフに憧れたり、看護大生になったらできないことや周りとの違いを色々考えすぎてしまいました。あの頃は、自分のことではなくて、周りのことばっか気にしすぎてしまっていました。

4.sns

看護に進むと決めてからのある日。
Twitterでなんとなく「看護学生」と検索をかけると、検索候補に「看護学生 辞めたい」の文字。
どんなもんかな〜と軽い気持ちでエゴサをかけてみると、もう、ヤバすぎる。怖い。一つのツイートじゃないし、ひとりのユーザーがヤバいんじゃない。全部ヤバかった。
ショックすぎて具体的な内容は覚えてないけど、ツイート見て泣いたのは覚えてる。
もともとインスタで「#看護学生の勉強垢」を沢山見ていたから、Twitterとのギャップにビビったんだと思います。
インスタにいる看護学生はみんな、キラキラしてて、モチベ超高いから。私も、インスタ側の看護学生になろう。


そこまでして看護に落ち着いた理由

1.家庭環境に恵まれていた

私の両親は医療者。お金に困ったことはあまりなく、2人きょうだいの私たちはどちらも中高一貫の私立に通わせてもらえています。学費の高い予備校も通わせてもらえます。私立の大学に行くことも、認めてくれました。
お金のことなんて真剣に考えたことはなかったけど、大学の学費や、受験にかかるお金などを知るうちに、自分は恵まれた環境で勉強できているんだ、と感じるようになりした。
そこから、ここまで勉強重視の学校に通っていたんだから、ここで美術に進んだり、なにかの専門学校に進んでもなあ、とちょっともったいなく感じたんです。お金は、甘えられる時に甘えておかなきゃって。
しかも、看護大の指定校推薦枠が私の学校にあったのもあって、「これで合格をもらおう。予備校ももうやめて、予備校の授業料と一般の受験代を浮かそう。それが、せめてもの親に対する感謝だ」と思ったんです。それに、浮いたお金で、いっぱい友達と遊ぼう。目を二重にしよう。沢山ミュージカルを観に行こう。テーマパークにいっぱい行こう。

2.ぶっちゃけ医療界の知識しか無い

両親が医療界だと、他の仕事の具体的なものが何もわからなくて、他の世界に足を踏み出しにくかったんです。
会社員って何するの?パソコンずっと触ってるの?てか、デザイナーってどこで働くの?就活って何?インターンって何?
うちの家族(親戚含め)、ノー知識なんです。
これは、環境のせいと言いたいわけではありません。
今の時代、調べればすぐ分かるし。
ただ、親の話を聞いてる限り、フツーに人生上手くいってるし、楽しそうなんです。
ヘタに看護を拒否してまで違う仕事につきたかったわけじゃ無いし。それならそれでいーやって!

3.他の道は、看護に挫折したときでも遅くない

グラフィックデザイナーとかは特に。
沢山の職種の道で悩んだけど、結局ずっと頭の片隅に看護がいたから、結局人生のどこかで看護の勉強はしなくてはならない人生なんだと思ったし、社会人になってから看護の勉強する方が、きついと思ったから。それに、若いうちに国試取って、看護挫折して、グラフィックデザイナー目指して挫折して、看護に戻る、とかもできるし、もしもの逃げ道ができるのは、本当に心強かったんです。

4.結局私は看護師になりたい

最終的に友達に流されなかったのも、この気持ちがあったから。
最後は自分の夢に、正直になったんです。
友達は友達。私ら私。私だって、ビッグな夢があるんだ。
私は看護師になる。
そして、自分の、人のため精神を、いっぱい人に尽くすんだ。患者さんにも、そのご家族にも、医療チームにも。


まとめ

看護に行き着くまでの道のりにたくさんの壁があったと思っていたら、あれ、案外多くない?と感じました。これって多かった方なのかな?

壁が多かったというよりかは、多分、悩んでいる時期が長かった。だと思います。
こんなに悩んで悩んで悩んで、看護の道を選んだんです。
テキトーに看護師になろうと思った訳じゃない。
その事実が、今後の私の自信と力に繋がると信じています。

なんか懐かしいなあ。こうやって、記せてよかった。
ここまで書き上げるのに、4日ほどかかりました。笑
ここまで読んでくださった方ははたして、いるのか?
読んでくださり、ありがとうございました。

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