自分以外のもので自分を満たそうとすると、いつまで経っても自分虐めを続けてしまう。 他人軸、自分軸という言葉はあまり好きではないが、他人軸で生きていたら、ざるに水を注いでるようなもんだ。多分永遠に満たされない。 もう随分と長く、母親への恨みや会社で受けたパワハラ、何もしてあげられなかった娘たちへの後悔に囚われて生きてきた。これらは全て他人軸だ。 もし10年前に母親やパワハラ上司が改心して謝ってくれていたとしても、一時的な満足感はあったかもしれないが、オレの人生にはさほど影響
7月7日、地元に戻り娘たちや兄家族、母に会ってきた。忘れたくないことがたくさんあったので書いておこうと思い久しぶりにnotoを開いてみたのはいいけど、何から書けばいいのか分からず、ずっとPCの画面とにらめっこをしている。 もう4年近く地元には戻っていなかった。それまでは年に1、2回は娘たちに会いに行ってたんだけど、帰りの車で号泣してしまったり、「ごめんなさい」の感情に襲われ、その後数日間続く放心状態が怖くて逃げ続けていたんだと思う。優しくされればされるだけダメージが大きくな
ややこしい言い回しになるが、『母親に対する直接的な恨みは消えている』ということに、ここ数年くらいでやっと気づいていた。ということに最近気づいた。 消えてるというのが正しい表現なのかはわからない。諦めなのかもしれないし、母親との関係を克服しなくても別にいいのかなと思えるようになっただけなのかもしれない。 もう何年も前に、恨みは諦めに変わっていた。その気持ちが今、昇華しつつあるのかもしれない。 たまに書く母親への思い恨みつらみは、多分昔の記憶を思い出してるだけなんだろうな。
もう2年半近く相方に頼って生きてきてしまった。 経済的には、ほぼ100%相方に依存して生活をしていた。相方に養って貰っていた。 よく言えば専業主夫、悪くいえばヒモだ。 そんな相方の持病が悪化してしまい、今までのように働けなくなってしまった。 相方ひとりなら、なんとか生活ができるが、今までのように2人で生活していくのは不可能になってしまった。 「(オレが)元気になるまで頑張れなくてゴメンね」 泣きながらそう言って謝られた。 謝るのはこっちのほうだ。 こんな状況になっ
何度か転職をしてきてるのだけど、会社を辞める時に言われる言葉の1位2位を争いそうなのが「ここで勤まらなかったら何処に行っても勤まらないよ」と「何処に行っても同じだよ」だった。 間違いなくそんなことは無かった。 前向きな動機での転職は一度しかなくて、その他は、うつ病が原因で、何度かの休職をしてからの退職だったり、休職を挟まないでそのまま退職したりだった。 余談だが、うつ病での休職明けの日会社の壁に“ストレスを感じたらここに相談を”みたいなポスターが貼ってあったのには少
母親はいわゆる毒親だった。子供の頃から何かと兄と比較され「お前はダメな子」「人より劣っている」と刷り込まれて育ってきた。 兄とは3歳違いなんだが、子供の頃の3歳の違いは大きい。その兄と比較されてしまうと、体力的にもそのほかに関してもオレの方が劣っているに決まっている。 その刷り込みによって自分は出来損ないだと思い込むようになった。表面的にではなく、何も考えるまでもなく、自分はダメ人間だと思うくらいまでに刷り込まれてしまっていた。 それがオレの生きづらさの原因になっていると思
オレは嘘つきだ。 子供の頃、親のガッカリした顔を見たくない為にオレは嘘つきになった。 どんなに嫌な事があっても、嘘をつくことで親の機嫌が悪くなることは無かった。 嘘は癖になる。罪悪感も何も感じないで平気で嘘をつきはじめる。 そのうち自分にも嘘をつくようになる。 ある程度大人になってからも、周りの空気を乱さない為に嘘をつき続けてきた。 嘘はオレにとっての潤滑油だった。 ある時は愛想笑いだったり、機嫌のいいふりだったり、いい人のふりだったり。 人当たりのいいふりは得意
※ネタバレ無し 11月3日、Mr.ChildrenのLIVE行ってきました。熱が冷めないうちに書いておこうと思いながら、今日になってしまいました。 デビューから26年、波はあったけど、ずっと聴き続けているMr.Children。 この10年間くらい、ほぼ全てのツアーを観てきたオレが今回のツアーで感じたこと、 『ミスチルってこんなにカッコよかったっけ!?』だった。 間違いなく今までのミスチルもカッコよかった。でも今回は、今までと違うカッコ良さを感じた。 音楽の知識がある
精神疾患を患いながら仕事を頑張ってる人も居れば、休職をしながらとか、休養を取りながら寛解を目指して頑張ってる人もいる中、オレは何もしていないんだよね。 現状に甘えて生きている。もうそろそろ、それも限界なんじゃないかと思ってはいるんだけどね。 LINEスタンプなんかを描いて販売をしていると、なんとなく社会の一員として生きているような勘違いをしてしまう。 小学生のお小遣い程度も稼げないのにね。 この先、今の生活が成り立たなくなってしまった時オレはどうするんだろう。 生きたいのな
アイコンが可愛すぎたので名前の通り錆にしました。
昨日の続きになってしまうんだけど、娘達に会いに行くついでに、実家にも寄る事にした。 お盆にも帰って無かったので、親父の仏壇に線香でもあげていきたいという気持ちもあった。 母親はいわゆる毒親だった。何よりも自分が大切、自分の体裁を守るためには平気で子供を傷つけるような人だった。 「お前のせいで恥をかいた」という理由で、よく罵られたり暴力を振るわれていた。 「お前はバカだ」「人より劣っている」 子供の頃、そんなような事をよく言われたり、無言のメッセージで受け取っていた。
離婚したのは上の娘が小6、下の娘が小4ぐらいの頃だったろうか。 うつ病になって2度目の休職、その後退職をして1年くらい経った頃だった。 そろそろ働けそうだと思ったのが、ちょうどリーマンショックの頃で、再就職先を探して履歴書を送り続けていた。 45通くらいまでは数えていたけど、その後からは数えるのを辞めた。 そして妻から離婚を言い渡された。母子家庭手当を貰って生活した方が経済的に楽だという事、「子供の為には頑張れるけど、あんたの為には頑張れない」「もし仕事が見つかれば、離婚
今回の地震で役に立った物を忘れないうちに書いておこう。 電池で聴ける携帯ラジオ 手回し充電式のライトとラジオが一緒になったやつ。 停電だったしスマホも繋がらなかったからラジオが唯一の情報を知る手段でした。 この辺りは水道もガスも大丈夫だったのでカセットコンロは使わずに済みました。 今日も少し大きめな地震がありました。 この先暖房が必要になる前には落ち着いてもらいたいです。無理かな… しっかり防災グッズ揃えなきゃなぁ。 まだまだスーパーやコンビニは品物が不足しています。特に
地震が起きた時オレは寝ていた。寝ぼけながら「ん、揺れてる」と思ってたら、揺れに驚いたネコが顔に飛んで来た。そして停電になった。 起きていた相方に呼ばれ、まずドアが開くか確認、その後水が出るのか確認した。ドアも水道も大丈夫そうだった。 地震の様子をスマホで確認しようとしたけど、電波が悪くてなかなか繋がらなかった。 スマホの灯りでラジオとハンドル充電式の懐中電灯とロウソクを探し出し、ロウソクの灯りで明るくなるのを待った。その間、2回小さな揺れがあった。 北海道の内陸で育った
他で何回も書いていることなんだけど、何年か前に急性心筋梗塞になっている。 会社に出勤してすぐ、左肩にひどい肩こりのような症状が出て、動くのも辛かったので少し休ませてもらって様子を見ていた。 症状は酷くなる一方で、肩こりは痛みに変わり左胸まで広がって行った。 そのまま早退して帰り道にかかりつけの病院に行こうと思い車に乗った。 病院までは30分くらいだったんだけど、その間にもどんどん症状が酷くなり、これは一旦家に帰って救急車を呼んだ方が良いと考え家まで急いだ。 家に着く頃に
もうアラフィフの普通に社会生活ができないおっさんが、どうやってこの先、生きて行けばいいのか。 そんな事がわかればこんな状態にはなってない。 なのでなにかの気づきを期待して、前からやって見たかった子供の頃からの振り返りをして行きたいと思う。 ざっと子供の頃からの事を書く。他で何回も書いているような事なんで、見飽きた人もいると思うけど、とりあえず書く。 保育園の頃は積極的な子供で、動物や虫が大好き。昆虫図鑑や動物図鑑ばかり見ていた。兄の影響なのか、他の子供達より色んな知識も多