娘乗っ取り

こんにちは。

先日「父の日」だった。日ごろの感謝を伝える日、それが父の日なのであるが、親不孝なことに、それを知ったのは父の日が終わってからである。

そして今、我が実家ではとある事件が起こっている。


「娘乗っ取り」である。



娘乗っ取り


地元にAという友人がいる。Aはひとつ年上で、幼いころから仲が良かった。私が実家を出たことで、近ごろはあまり会う機会もなかったのだが、いまも仲良くしている。

Aはとても純朴で、好感の持てる友人だ。
気づかいはできるし、他人への思いやりがある。

そして、Aは、うちの両親にもまた、めちゃくちゃ優しいのである。


それはそれはもう素晴らしい。実家の農作業を手伝ってくれるし、両親の誕生日も祝ってくれた。プレゼントも贈ってくれていた。

もうこの時点でおわかりだろうが、先日の父の日、先月の母の日にもプレゼントを贈っているのである。他人の両親に、である。


かくいう私は何をしたかというと、正直に言おう。何もしていない

母の日にはかろうじて電話をしたものの、父の日には家族の顔を思い出すこともしなかった。というか父の日の存在を覚えていなかった。私は薄情者である。


先日、家族LINEにて、「Aが父の日のプレゼントをくれた!」という報告が為された。
凄まじい危機感を感じ、私は姉に連絡した。姉は母に対し、「わぁすご~い」といった内容を返信していた。私は確信していた。姉は、仲間だ。


「A、娘より娘している……危機感を感じる……」

姉からの返事はこうだ。


「いやそれな」


私はとても安心した。というより、罪悪感が薄れた。
やはりそうだろうと思った。私と姉は年が近いので、ある程度の価値観は共有している。

年の離れた弟や妹とは若干の齟齬があるが、姉とは基本似ている。


しかしその一分後。


母「〇〇(姉)もありがとう!餃子届いた」



私は絶望した。この1分で酷い裏切りに遭った。



「あ、送ってたわ笑」

とは、姉の弁である。
笑 ではない。切実にそうじゃない。


私はとても薄情だ。
罪悪感は同じ立場の者で足を引っ張りあうことで満たされるのではなく、行動を起こしてこそ解消されるもの。

そもそも仲間を探した時点で、私に価値はない。
………。


しかしぶっちゃけ、「え、プレゼントいる?」という気持ちである。
そもそも我が家ではプレゼント文化が発展していない。私も小学生のころから、毎年誕生日やクリスマスに現金を要求していた。感謝のお手紙みたいな行事もめったにない。冷めた娘である。

絵にかいたような仲良し家族、というのは未だに照れがある。
私はまだまだ子供なのだろうか。


感謝はある。

思えば、毎朝スクールバスに乗り遅れ、のんびり歩いて帰ってくる娘を急かし、車でスクールバスに追いついてくれた父。私が「家を出たい」と言ったとき、不安そうな顔こそすれ、「応援している」と言ってくれた父。父には一度も叱られたことがない。

長期休みに昼夜逆転しがちな娘の部屋に、ホラー映画よろしく不気味な足音で部屋に現れ、叱ってくれた母。本当に足音が怖い。登場の仕方も怖い。プレゼントは現金でいい、などという可愛くない娘に、毎年口には出さなかったが、大好きな甘めのミートソーススパゲティを作ってくれる母。

娘は未だ、感謝を口頭で伝えると即死しそうな気がしている。両親は喜ぶだろうな、と思わないでもないが、ほんとにこの文章を打ち込んでいるだけでも死ぬほど恥ずかしいのでしたくない。

娘の価値観の中では、家族の存在はあまり高い位置にはない。そこにあることが当たり前だからである。


私はあまりにも我が強くなってしまった気がする。
両親ののびのび子育ての結果、私はこの立場に胡坐をかいている。

私は自分一人では生きてこられなかった事実に、改めて向き合わなければならないな、と感じた一件であった。



———それはそれとして、娘乗っ取りは由々しき事態である。


これは早急に対策を立てなければ、おそらく次の帰省の頃にはAが実家に住んでいるだろう。来年の今頃には養子縁組だ。これは本当にまずい。未来のことを思えば、両親の近くに信頼のおける人物がいるのは安心できる。加えてAのことは大好きなのでむしろウェルカムだが、娘という立場は譲りたくない私である。


そういうわけで、Amazonのギフトページを見てみた。

とりあえず購入し、あちらに届くようにした。選ぶのは意外と楽しかった!そこそこ値が張ったが、10万円給付で経済を回したと思えば。あとは、無事届くのを待つばかりである。
大遅刻も甚だしいが、そこは他でもない私の両親なので、まあらしいなぁと思ってくれることだろう。

言葉では伝えられない娘の切実さがAmazonの品で伝わるか分からないのだが、ボケボケした両親なのであまり期待はしていない。


その時は決死の覚悟で——今年は何とも都合の良いことに成人なのだし——実家に赴き、文のひとつやふたつをしたためて潔くハラキリしようと思う。



余談だが、Amazonを周遊中、「遅れてごめんねギフト」なるものを見つけた。

この国には、私同様、父の日母の日を失念している者がゴロゴロいるに違いない。責めるつもりは毛頭ない。しかしクリスマスを恋人の日と宣う国だなあとは思う。

それもまた、良し悪しはさておき文化である。











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