見出し画像

八月の氷

「猫山さん、お仕事するときに氷食べてますよね?」
頭が真っ白になった。そのとおり、私だ、間違いない。周りに音、聞こえてたんだ。
小さい頃から私にはとある癖がある。それは、飲み干した水筒の底にたまった氷を食べてしまうことだ。小さくなった氷の塊を、しばらく口の中で転がすのだけれど、最後は我慢できずに噛んでしまうのだ。どうやら私は無意識に、会社でも氷を噛み砕いていたらしい。
「どこから聞こえてくるんだろって思ってました。笑 誰か煎餅食べてるのかなって」
わ〜すみません、気をつけます。氷、つい食べちゃうんですよね〜。わはは、と笑って誤魔化したけれど、「氷食べてますよね?」のあの声がぐわんぐわんと頭の中で反響していた。月原さんのしっとりとした声。毎朝、額の汗をパタパタしながらハンディファンをつける月原さんの後ろ姿。そよそよ揺れている柔らかそうな栗色の髪。3つ以上仕事を抱えるとイライラしてしまうクセがあるところ。かわいい。
水筒の底に残った氷越しに、月原さんの姿が浮かんでしまう。あのとき、自分が隠し通してきた子供っぽさを見抜かれた気がして、何よりも恥ずかしかった。
以来、私は氷を食べる時に音を立てないようこっそりと口のなかで転がすようになった。月野さんごめんなさい。わたしいま、氷、食べてます。カチン、と罪悪感が歯にあたる。ごめんなさい、わたしやっぱり、氷、大好きです。カチン、ごめんなさい、カチン、カチン。
うだるような暑さの中で、口の中の罪悪感だけが、少しずつ、小さくなっていくような気がした。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?