30を目前に何も見えなくなった話

特定の誰かに話したいという訳では無いし、それでも吐き出したいことがあって、Twitterやら配信やら、固定の人物の目に止まった時に【あれ?病んでんの?】だとか【キャラじゃない】とか腫れ物扱いされるのにもうんざりだし、ひっそり日記的にnoteをダウンロードした。

高校を卒業してからというよりも、物心着いた頃から親の負担にならないように、意に反しない生き方をしなければならなかったわけだけれどもこれは別に特別な事ではなくて全人類のほとんどが共通していると思う。
(扶養主?に捨てられれば衣食住に困る)
違うのは多分選択肢の多さだけ。
その中で恐らく、同年代以降の人達よりはほんの少しだけ私は選択肢が少ない人生だった。

親は放任主義を超えていて、本当に何も関与しない。
よそ様に迷惑をかけない、世間体がこれ以上悪くならない、親のイメージが悪くなければなんでも良いと言った具合だ。
頭すっからかんの私にとってそれは、怒られないというひとつの抑止が全くなかったということである。

お陰様で塾などにも通わず毎日木登りだなんだと外で遊び回っていてあっという間に中学生。
なんとなく入った部活をなんとなくそつなくこなして高校受験。
田舎なので公立の方が頭がいいとされていて私立は大概滑り止め。
私は滑り止めはなかったのだけど問題が発生した。

勉強。
そんなものは学校の授業でしかしたことがなかった。
宿題もまともにやった事がない。
それがなんて愚かなことなのか、どれだけその後の人生を左右するかわかってなかったからだ。

なんとか志望の高校に入って、バイトしながらまたフラフラと放棄されないように振る舞い、反対されたことには手を出さず、自分の希望や考えを話さず就職した。

大失敗だ。

高校に入った時点で大学に行きたくなるかもしれないと勉強を習慣にし、行きたい学部まで見つけたにもかかわらず学費ローンや奨学金のリスクを取れなかった。
しかしそんなのはここまでの18年間の人生では当たり前である。
物心着いた頃からの自覚している最大のリスクが衣食住だった。
変な話でなんとも可愛げのないマインドだ。

結局社会に出てなんのアイデンティティもない私は何をしても続かない、続けられない人間になった。
素直な憧れの気持ちや夢の持ち方が分からなった。

1年経たずに1社目を辞めて、フリーター。
地元で根付いていたねずみ講の会社の事務員。
傍から見れば宗教じみたサービス内容は、つまらん人生を送っている私にとってかなり刺激的で面白いものだったし、なにかに熱中したり、目標や夢があるのが素晴らしい。
老人と呼ばれる年齢の玄人達の目がキラキラしていたし、運営側もギラギラしていた。
その後入ったのが今の会社だ。
(厳密に言うと違うけれど面倒なので省く)

当時はリーマンショックの直後で非常に就活が難しかった。
何の変哲もない高卒、しかも1年経たずに正社員を捨てているそんな私だが、一丁前に就活なんて面倒なものはしたくないという怠惰な気持ちがあったので正社員雇用制度のある求人専門の派遣に登録し、晴れてそのまま正社員になった。

田舎者精神満載の私は早く一人暮らしがしたかったので、キャバで働き始めた。
恋愛経験もなければバリバリの処女。
しかも趣味はコスプレのガチオタク。
(当時は今のようにカジュアルな趣味ではなく、汚ったない苔の生えきった水槽のような気持ち悪さがあった)
当然ハチャメチャに苦労した。
整理しきれない理不尽やうまい立ち回りをここで覚えた。
当時の店長にはムカつくが感謝している。
ここでの苦労話は米の数を数えるよりつまらんので書かないでおく。

晴れて一人暮らしを初めてしばらくだった時、昼職で異動が決まった。
ちょうど仕事にも飽きていて辞めて夜やればいいかなーとか別の会社行けばいいやとか考えていたので大嫌いな就活をしなくていいとなればありがたさしかない話だった。

そこに異動して今、どうしようもなく透明人間で軸がブレブレの怨念のような私が完成した。

異動先は一流企業の社長室
響きが最高だった。
基本的に私は頭が悪いアンド厨二病を抱えているから生徒会だとかそういう名前に弱い。
業務内容は全く持って分からなかったがまあなんとかなるっしょ!という田舎ギャルの思想で本当に何とかなってしまった。

何も吸収せず、成長もせず、何とかなってしまった。
驚くほどそこからの7年を身にしてこなかった。
周りが優秀で【能力があるやつ】に仕立ててくれていた。
普段なら褒め言葉聞こえるであろう【大体のことはソツなくこなすよね】【要領がいいよね】という日本語がものすごく皮肉になる自分が出来上がった。

なにか残ったとするならば他人に期待をしないこと(信用しないこと)と躁鬱での休職履歴だけだった。

期待しないというのはなんとも気楽で精神衛生上望ましいのだけれども、生きる上での見えないプラスな報酬がなくなった。
怒られないように、嫌われないように、食いっぱぐれないように、世間的に一定の肩書きを保てるように
こんな上っ面を守るためだけに生活を営んでいる。
なんともマイナスの見えない報酬しかないものだ。

若い頃のチャレンジというのは、健全に心を成長させるために必要な栄養素だ。

友人も、同僚同期も、恋人もまともに居ない私が、この先一体何をすればいいんだか。
当然衣食住の確保のためのルーチンは手を替え品を替え続けていくんだと思う。
それが保てるというのは贅沢なことかもしれないけれどなんとも白黒テレビなのだ。

まだ恋にあこがれていたころや、一人暮らしに憧れていた頃、会社の肩書きに憧れていた頃、好きなアニメやアイドルがいた頃はカラーテレビ的で、思い出に耽ける度に目がチカチカする。

世の中の電子はどんどん発達してVRだ4Kだとより鮮やかになっていくのに対してなんとも後退している。
守りを固めすぎて時が進むのを拒んだ村のような感じ。

なんでも出来るし誰とでも打ち解けることが出来る。
でも結局のところ真逆の印象しかないねじ曲がった私が出来上がってしまった。

人は25超えたら性格や行き方の根本は変わらないというけれど全く持ってその通りだ。
チャンスを目前にリスクを重んじ続けた結果で、そこに成長がないのなんて当然の報いである。

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