毎日楽しく生きています。

毎日楽しく生きています。

マガジン

  • 虚無録情緒不安定日誌

最近の記事

明日が来るのが嫌な時

誰しも一度は思ったことがあるであろう【明日なんてこなきゃいいのに】と 私はしょっちゅう思ってしまう。 明日ところかちょっと先の未来が嫌だったり、はたまたいつ来るのかも分からない嫌な未来が嫌だったりで思ってしまうのだ。 この気持ちで頭がいっぱいになるととにかく身体から頭から重くなって体調不良を引き起こすまでになってしまうので辛い。 この【明日なんて】が顔を出した時すかさずそうはいっても【終わりがこないものごとはない】の方がよっぽど真実であることを私は良くご存知だから、とり

    • つまるところ

      noteを開かなくなってかなり経つが昔書いた記事が懐かしくなってまたアプリを開いた。 30を目前とした私のオバサンと少女の間で揺れ動く自分語りはとても香ばしく全くもって可愛げがなく可愛いと感じてしまった。 30を目前にして〜というタイトルのその記事は鬱屈としてやり場のない馬力に溢れていて若々しい内容となっていて、当時の私は自分の歩んできたこれまでをなんとまあ悲観的に捉えていたんだと感心した。 悲劇のヒロインを嫌いながらもそんな自分を周りに受け入れて欲しい心が丸見えである

      • 夢か現実かわからない話

        突然だけどある男を思い出した。 ・旅行に行ったことがある(山奥っぽいところに2回) ・同い年くらい ・車を持っていた気がする ・お互い好き同士だったが付き合ってはない ・なんかとにかく居心地が良くて相性が良かった ・イケメン(私好みだった) ざっくりこんな感じである。 元々今までの交際相手の顔や名前も忘れて言ってしまうような人間なのでよりあやふやだ。 特に今の生活に不満は無いし、寂しさも無い。 なのに突然過去(に定期的に見ていた夢?)のことを思い出した。 私が覚えてい

        • 塞いだ手を取ってみた(世界は結構明るい)

          note初めて1年がたった。 始めたきっかけはカビだらけの曲がりきった考え方とか感情をナントカ見れるものに変えて認めてあげたかった供養だったわけであるが、文章にするというのが結構難しく記事数は極めて少ない。 以下がちょうど1年前に書いた自分の生い立ちもどきである。 30という数字はただの数字だし成人して大人とされてからたったの10年であって全然大人ビギナー。 しかし世間はそれを許してくれないことが多い。 【大人】であることを強要されてしまうし、それこそ私は女であるので【大

        明日が来るのが嫌な時

        マガジン

        • 虚無録情緒不安定日誌
          6本

        記事

          社会性からの卒業

          会社を辞めた。 今の会社(グループALL)を辞めるのは2回目である。 私の会社は少しというかだいぶ変わっていてとにかく実力というか人脈というか、年齢性別過去の経歴が一切関係ない。 厳密に言うとスタートこそ違えど半年もあれば差はなくなってしまう。 そして再入社がハチャメチャに簡単なのだ。 1度家出のごとく今の会社を辞め(上司が気に入らなかったから大喧嘩になり辞めた)再召喚されてあっという間に4年くらい経った。 そんな懐深い実家のような会社を辞めた。 生まれてこの方今日まで次の

          社会性からの卒業

          好きな匂いでDNAがナンチャラって

          今使っているお香入れはもう何年前だったか定かではない初めてできた彼氏から貰ったものである。 別に未練があって捨てられないとかではなく生活を営むにおいて必要なもので、壊れているわけでもなく、趣味じゃないとか見た目が好きじゃないとかそういうものでもないからそのまま使い続けている。 (おそらく22か23くらいに貰った) もう写真もないし、連絡先も消したし、もはやフルネームも覚えてなくて顔もモヤがかかっているので今どうなってるかなんてもうわからないのだけど非常に思い出深い恋愛期間であ

          好きな匂いでDNAがナンチャラって

          性善説性悪説なんてもんは議論の無駄

          最後の更新から一体何ヶ月経ったんだろうか noteを始めたばかりの頃は【よォし!世の中の不満愚痴吐き出してハッピーになっちゃうぞ!】などと意気込み大して面白くもない長文を独りよがりに更新していた。 最近はもっぱらTwitterやらラジオ配信やらで呆れるほどに傍若無人に暴れ回っているせいでネタがない。 いや、ネタはあってもめんどくさいから簡単お手軽な方法を取ることが増えてしまった。 自分の機嫌は自分で取れ!だなんていきがっているものの結局のところ鼻で笑っていた奴らと手法は違

          性善説性悪説なんてもんは議論の無駄

          世の中に平等やら公平など存在しない

          心にの余裕が無いと時間というものは楽しめない=文章なんて書けない あっという間に春が終わってあっという間に夏が終わって、さらに瞬く間に秋が終わりつつある。 なんと季節のない1年なんだろうか。 花見、海、フェス軒並み中止で全くもって四季が死んでいる。 (どちらにせよ私は海になんて、どころか水着なんて中学以降着ていないし、フェスなんて民族的なものにしか行ったことがない) そんな中で季節を感じさせるのがテレビの特番である。 キングオブコント、M-1グランプリ、そしてガキ使が来てお

          世の中に平等やら公平など存在しない

          代わり映えのない毎日を憂うな

          呼吸と飲食しか習慣になっていない私なので当然あれだけ毎日書いてたnoteももう何ヶ月ぶりに書くのかわからなくなってしまった。 いつの時代も代わり映えのない毎日を憂いたり、無計画に地元を飛び出し上京、酒とタバコと男と女、先を気にすることがなかった若い日々をエモい(笑)と懐かしみ美化する歌が流行り横行する。 人はいつだって正当化したい生き物だから仕方ないんだと思う。(正当化の方法が陰キャのイキリとは違う気色悪さがあるので私の好みではない) 第一、そもそも、当然ながら毎日同じ

          代わり映えのない毎日を憂うな

          多分この騒動の1番の副作用は

          自粛自粛自粛で先の見えない制限の中、不寛容極まりない窮屈な監視環境で生活している皆々様ごきげんよう。 何年か前に、九州かなんかで集団監禁殺人事件が起こったことを覚えている人はどれくらいいるだろうか。 私は一時期都市伝説や未解決事件について知りたくなってしまった痛い時期があった。 超絶うろ覚えだけれど許して欲しい。 ざっくりいうと、監禁相手全員にマインドコントロールをかけてお互いの不満をぶつけ合わせ、被害者同士の不信感を煽りまくり、犯人は自分の手を汚さずに人を殺すという事件

          多分この騒動の1番の副作用は

          バカが抱える不安の破壊力

          お久しぶりです。 世の中は新型ウイルスで大混乱ですね。 今回のパンデミックに限ったことではなくて、いつどんな時もそうだと思うんだけど、バカが抱える不安の破壊力って凄い。 ワイドショーやらトンデモ科学に揺動されたり、自分じゃ何も出来ないということを理解せずに文句ばかり発信する。 良くも悪くもバカは声がでかい。 そして人間というのは不安に弱い。 普段は冷静に情報や行動を選べたとしても声のでかいバカに不安を移されて同じくバカになるというのが多すぎるのだ。 怠惰な生き物だ

          バカが抱える不安の破壊力

          そろそろ書かなきゃね

          そろそろ書かなきゃね

          儲けるために目を潰せ

          コロナウイルスに世界中が脅えている今日この頃、プレミアムフライデーいかがお過ごしだろうか。 私はそこそこに元気だ。 世間が大恐慌になっていようが私は元気だ。 現在の日本はマスクや消毒液が買い占めにより足りない状況、そして新型コロナに対する治療法もない。 満足な検査方法もない。 人間は厄介な生き物である。 今出てきている進化論は全くお門違いだったという説がある我々ホモ・サピエンス(賢きもの)だが、ほかの生き物と明確に違う部分がある。 それは信仰によるグルーピングをする所

          儲けるために目を潰せ

          怠惰と勉強

          今日はすこぶるに調子が悪い 私は過去、エステ脱毛に通っていた。 当然エステローンを組んでいる。 毎月2万だった。 なぜそんな所に大金をかけるのかと言えば、世間一般的に日本では女に無駄毛が生えていることがだいぶタブーだからである。 男で言う青髭のようなもんだ。 とんでもなく理不尽だ。 正直体毛を気にされるほど近距離で異性と接触することなどもう何年ないだろうか。 すっかり異性に対してドキドキするだとかそんな気持ちは消え失せた。 しかし、夜の姉ちゃんとして二足の草鞋を履く私にとって

          怠惰と勉強

          習慣ってこわい

          1月の半ばくらいからながら筋トレを始めた 平日トイレに行く度にスクワットや腹筋、軽いストレッチをするというもの Twitterで回ってきた動画の通りにスクワット30、逆腹筋(立ったまま上半身を後ろにそらす)30、肩回し1分、前もも伸ばし1分くらい 超運動不足の私にとってなかなかの重労働だけども、家でやらなくていいので重宝している。 家に帰ってから疲れているところに好きでもない筋トレなど絶対に不可能だからどこでも出来るのは有難いし、眠気覚ましにもなるので健康も仕事も一石二

          習慣ってこわい

          諦めと自己肯定は似ている

          表題のとおり、諦めと自己肯定というのは極めて似ていると思うのだ。 自分を卑下して肯定できない人間は他人へ肯定を求めるという謎の矛盾があるんだね。 理想のとギャップを受け入れられずこんなはずじゃない!もっとやらなきゃと、だからだめなんだと責め続ける。 ゴールが見えないレースを走り続けるのってめっちゃしんどい。 やめちゃうね、そんなの。 スーさんの著書にもあったけど、理想から離れていても【これも悪くないな】って諦められたらめっちゃ穏やかになれるし、よく分からんモヤモヤに悩

          諦めと自己肯定は似ている