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トイレットペーパーアートで知る大人の「固定観念」の強さ

15秒で分かる今日のポイント
●「トイレットペーパーでアートする」ことに呆然として何もできないのは固定観念が強いから
●今日だけはトイレットペーパーで遊んでもいいよ!と娘に伝えたらすごくクリエイティブな発想が出てきて驚いた
●アートは普段の固定観念に気づかせてくれ、普段当たり前だと思っていることに「なぜ」を投げかける役割を果たす
●一般的な「常識」や「マナー」を知っていることは大事だが、それを自由に外して発想できるような大人になりたい、なって欲しい!

■トイレットペーパーで遊ぶことができない大人が持つ固定観念

先日、いつも私が参加しているコミュニティのイベントで、森すみれさんというアートセラピストの方のファシリテーションで「トイレットペーパーアート」をしました。

トイレットペーパーを使って、何か好きな作品を作ったり、自分に巻き付けたり、基本的には何をしてもOKなのですが、

正直、トイレットペーパーをトイレで使うこと以外考えたことない私は、

トイレットペーパーを持ってしばらくボー然でした。



トレイットペーパーって、トイレ以外で使うことになんだかタブー感を抱きませんか?

なんでだろう?と考えてみたときに、おそらく私は以下のような理由からトイレットペーパーにタブー感を持っているのだと気づきました。

①もったいない、大事に使うものと親に教えられてきた
②トイレという「排出の場」で使うものなので、トイレ以外に持ち出すのは品の良いことではないと家庭で教育されてきた


結果的に、私はとても遠慮がちにトイレットペーパーをほどき、ちょっとおもちゃと絡ませるということくらいしかできず、

自分の思い込みや固定観念の強さ、どうにも枠からはみ出ることのできない自分、を思い知る経験

をしたのでした...



■トイレットペーパーに大興奮の娘(6歳)と無関心の息子(1歳)

その様子を扉からちょっと覗いた娘

「ママ何してるのー?」というが早いか、「わーーーーー!こんなことしていいのーーー!!きゃっはーーーーーーー!!」

となり、大興奮でトイレットペーパーと戯れ始め、

見る見るうちにトイレットペーパーを割いて三つ編みを作り、色を塗って髪の毛につけてみたり、振り回して新体操をしたり、色水に混ぜて「ジュース~♪」なんて遊んだりして...


なんて自由なんだ!!

と、半ば尊敬のまなざしで娘を眺めることになったのでした。


我が娘(6歳児)は年齢の割には落ち着いたほうで、それほど大声で騒いだり、はしゃいだり、飛び回ったりしないほうだと思うのですが、

その時のトイレットペーパーとの戯れ方やはしゃぎ方が激しくて、夜遅くまで大騒ぎ。


一方で、1歳の息子は特に関心を示すことはなく、はしゃぐお姉ちゃんを横目に、目をこすっていました。


ここにどんな違いがあるのかな?と思っていたのですが…


娘にも、おそらく「トイレットペーパータブー」がすでに生まれてつつあるのだろうな

と…


つまり、娘はいつも「大事に使いなさい!」「無駄使いしない!!」「トイレットペーパーをトイレの外で使うなんて下品です!」的なことを言われている。

でも、今日はそれを破っていいんだ!!やっほーーーー!!!

的な、興奮だったわけです。


一方の息子(1歳)はまだトイレットペーパーがどんな存在なのかわからない(まだおむつなので、使ったこともないし)。

特にそれに関して教育されたこともないので、「遊ぶもの」としてそれほど関心を惹くものではなかったのでしょう。



■固定観念を認識し、それを外せる大人になるということ

この、トイレットペーパーアート後の皆さんとのディスカッションはとても興味深いものでした。


結局私はこういうことなんだと思います。

私(42歳)=固定観念ガチガチで、なかなかそれを外せない大人(になってしまった...ガーン)
娘(6歳)=固定観念を大人に植え付けられつつあるが、それを外せば自由な発想ができる!
息子(1歳)=まだ固定観念はない。でも、常識もマナーもない、自由!


大人になると、「これが常識だ」「そういうものなのだ」という考えがどんどんカチコチになって、「固定観念」となります。

そして、それが「自分の固定観念なんだ」ということにすら、そもそも気づかなくなるのではないでしょうか。



■怖いのは、「固定観念のカチコチ化」によって「なぜ(理由)」を考えなくなること

なんで働いているの?なんで会社に行くの?なんで結婚したいの?なんで子供を塾に行かせるの?なんでお金が欲しいの?なんでお化粧するの?

え?そういうもんでしょ?それが常識なんじゃないの?

そんな風に考えている大人が多いんじゃないでしょうか。

私もちょっと前までその観念が人一倍強かった気がします。


でも、今回のように「トイレットペーパーをトイレで使う以外のことに使ってみよう!」なんていう、普段の「常識」から外れたことを時々することで、

〇固定観念の存在に気づく
〇「なぜ」それが「常識」とされているんだろう?と考えるようになる
〇自由な発想ができるようにある(常識の枠を外してみたり、発想の切り替えをしたりが自分で意識してできるようになる)

そんなことがアートのチカラなんじゃないだろうか?なんて、アートにほとんど関わり合いのない私は思ったのでした。


子供に一般的な世の中の常識やマナーを伝えることは大事だけれども、

時間や場所を限定して、「今日はちょっと違うことしちゃおうか?」とか「ここでは自由にしていいよ!」なんて、枠を外してあげることは、

実は子供の発想力においてすごく重要なことなんじゃないかと思いました。


子供には、「え?だってそれが当たり前だからしてるんだよ」「別に理由はありませんけど」みたいな考えることを放棄した大人になって欲しくない。

自由に自分の観念を外し、自分の問題を解決するために様々な発想のできる子になって欲しい、なんて思います。


もちろん子供だけじゃないですよね。

私たち大人には、もしかしてもっと、自分の凝り固まった固定観念に疑問を投げかけるアートという存在が有益なのかもしれません。

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