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二人だけの通学路(ソンバサウナさん)

小学校の時、私はマンションに住んでいた 私の部屋は503号室
そして303号室には保育園から一緒の友達のゆかちゃんが住んでいた

階段を降りるとすぐゆかちゃん家につく。
私の朝の日課は、ゆかちゃんを迎えに行って、一緒に学校に行く事。

だけど、ゆかちゃんには1つだけ問題があった。
それは登校の準備がすごく遅い事。

8:30に家を出ないと学校には間に合わない。
でもゆかちゃんは、8:30を過ぎてもまだ準備をしているの。
しかも毎日だよ!!

「早くしてよ!学校に遅れちゃう!!」

普通なら絶対にこう言っちゃうでしょ?
でも私は言わなかった。
むしろ、もっとゆっくり準備をして欲しかったくらい。

だってその子の家には漫画がすごく多かったんだもん。
読んでも読んでも終わりが見えない。
小学生の私を没頭させるにはそれだけで十分。

準備が遅くなれば漫画がたくさん読める。
そんな風に思っていた時期がありました。
だから学校に遅れたって、ゆかちゃんを怒る気になれなかった。

やっと準備が終わり、朝の楽園に帳(とばり)がおりた。

「いってきまーす!」

大きな声でそう言うと、私達は走り出した。
小学校まで続く、真っすぐな一本道を。

本来だったら登校中の小学生であふれかえる通学路。
8:30を過ぎると人影はない。

誰もいない真っすぐなこの道を、友達の手を握り走り抜ける。
まるでボニーとクライド(※)が西部の荒野を走り抜けたように。

【終わり】

※この内容はインタビューを元に、加筆修正を加えて作成しています。

参照)

※)ボニーとクライド(Bonnie and Clyde)は、1930年代前半にアメリカ中西部で銀行強盗殺人を繰り返した、ボニー・パーカー(Bonnie Parker、1910年10月1日 - 1934年5月23日)とクライド・バロウ(Clyde Barrow、1909年3月24日 - 1934年5月23日)からなるカップルである。

ルイジアナ州で警官隊によって射殺されるまで、数多の殺人に関与し、数え切れないほど多くの強盗を犯した。当時のアメリカは禁酒法世界恐慌の下にあり、その憂さを晴らすように犯罪を繰り返す彼等の事を凶悪な犯罪者であるにも拘らず、新聞も含めて英雄視する者も多かった。後にボニーとクライドの犯罪は何度か映画化された。

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