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空間ナントカ能力が足りない

普通自動車免許を取ろうとしていて、ついこの前仮免を取得した。11月、12月と試験に一回ずつ落ちたので三度目の正直といったところ。と言っても、仮免を持ったのは今回が初めてではない。大学卒業直前に免許を取得して5年ぐらい全く運転しないまま保持していたが、更新し忘れて失効、そのままにしていたのを更に5年ぐらい経って今、再び取得しようとしているのだ。まだ仮免なので途中も途中だし、一度免許を持っていた者からすれば仮免の試験などお茶の子さいさいのはずだが、それでも全然めちゃくちゃ嬉しい。試験に2回落っこちている通り、自動車の運転に対して自分は苦手意識バリバリだからである。


運転の何が苦手かと言われると、車の大きさの感覚がわからないことである。車道の真ん中を走るのは運転の基本だが、走っていると車が道のどこを走っているのかすぐに分からなくなる。路肩から30㎝、中央線から50㎝、運転席にいる自分が道の中心に居るように走る、ということを頭の中で常に復唱し続けないと簡単に見失ってしまう。感覚で道の真ん中を捉える、ということが出来ないのだ。

当然、安全確認など他にも注意すべきことは沢山あるので運転している最中は常に頭の中で色んな理屈を同時並行で復唱し続けなければならない。新しい技術を習得する時はそういうもんと言えばそういうもんではあるが、にしたって、いつまで経っても自分の感覚を信じることが出来ない。何となくでいこうとすると脳がパニックを起こす。道の真ん中を走れば良い…と言っても道の真ん中ってどこ!?とすぐに見失う。マジで危ない。運転教習の教科書に書いてあることを脳内でなぞって漸く落ち着くことができる。傍から見れば運転は成立しているように見えても、感覚的に運転できるようになった気持ちにいつまでもなれないのである。


ほぼ乗らないまま失効した免許。


これは車の運転に限ったことではないようだ。

最近アクロバットを習っていて、バク転を練習中だ。最近になってマットの上でならロンダートからバク転に繋げられるぐらいにはなってきた。ただ、回転する時に脚が開いてしまったり、軸がずれてしまっている。綺麗に脚を閉じ軸をぶらすことなく真っ直ぐ回転する、というところまではまだまだ至らない。その為には柔軟性だったり筋力だったり力を入れるタイミングだったり改善点は沢山ある。
だがそもそも未だにバク転で回転している時に自分の脚がどこにいってるのか見失っている気がする。もう2年半ぐらい通ってるのに。

アクロバットで回転系の技をやる際は遠心力を用いるため、本来持っている自分以外の力が作用している感覚がある。遠心力がかかっている時、普段は重たい下半身が自分の意志ではない力で吹っ飛んでいくので、まるで自分の身体ではないように感じる。自分の感覚器と連動はしているが、日常的な操作感にない感覚が必要で、その感覚が未だに掴みきれていない。

車の運転にしてもアクロバットで回転している時の脚にしても自分が操作していることは間違いないのだが、動かすことによってそのモノが空間のどこに位置することになるのか、瞬間的に見失ってしまうのである。


上半身と下半身がバラバラな感じ。


この“自分が操作しているにも関わらず空間における位置を直感的に見失ってしまう”特性は先日まで出演していた『長い正月』でも顕著に表れていて、全編マイムの芝居だったのだけど、出演者の中で自分がダントツでマイムが下手クソだった。箸の長さが爪楊枝になったり地獄の三尺三寸箸になったり、食べ物を口で迎えにいきすぎて暗黒に見えるほどパカァ…と口を開けたり。マイムは動きの一つ一つを分解することが大事で、例えば「食事をする」だったら、①箸を開く、②物を掴む、③物を口元に運ぶ、④咀嚼する、といったように整理して段階を踏むと良い。そうした理屈は理解しているのだが、それ以前に箸の長さがどれくらいで・物の大きさはどれくらいで・どのくらいの近さに物を近づけた時に口は開くのか、などといったそれぞれの距離感を感覚頼りでやるとと完全に見失ってしまう。自分がマイムがめちゃくちゃ苦手なのは、マイムのやり方が分からないのではなく、物が動き始めるとそれぞれの距離感が何のこっちゃ分からなくなってしまうからである。

このように車の運転にしてもアクロバットにしてもマイムにしても、共通として空間を把握する何かの能力が欠けているように思える。

恐らくマイムを完全に習得しようと思ったら、箸の長さは何㎝で手元から口元の距離は何㎝で手首の角度を何度回したら掴んだ物は口元に近付いてくるのでそのタイミングになったら口を開けて良い、というように感覚ではなく具体的に言葉で復唱できる形にして、頭の中で唱えながら反復練習する他ないと思う。一つの動作だけでもこの調子だが、あらゆる動作において、このように具体的に考えないと習得には繋がらないだろう。気が遠くなるが、自分にとってそれ程苦手な感覚なのである。


我ながら何回こするんだ、この写真。


では果たして、そこまでの苦手意識を持ちながらそれを克服できるのか、ということである。向いてないと言ってしまえばそれまでだし、自分でも嫌になるぐらい滅茶苦茶にわかんねえ!と投げ出したくなる感覚ではあるが、それでも感覚を会得することは出来なくもないとも思っている。

自分は普段は眼鏡をかけて生活しているが、舞台の本番中やアクロバットの練習中などは、コンタクトを使用している。初めて使用したのは10年以上前、演劇を始めたての頃だったと思うが、その時はコンタクトを付けるのに物凄く手間取っていた。付けるのが怖いというより鏡を見ながら自分の目にコンタクトを近づける、という距離の感覚が分からなかったのである。鏡を見ていると、鏡の中では手前に位置する指先のコンタクトは奥に位置する自分の目に付けるから奥に移動させないといけない訳だが、実際は自分の指先のコンタクトは自分の目の前に位置していてそれを自分の目へと持っていくのだから手前に移動しなければならないのである。理屈として書くのもアホみたいなことだが、鏡の中では奥に目があるものだから指先を奥に動かしてしまって、鏡だから当然目には近づかず、かといって逆に手前に動かすと距離感が分からず顔の目以外の部分に指先をぶつけて、いつまで経ってもコンタクトを付けられないということを当初は繰り返していた。酷い時はコンタクトを付けるのに20分ぐらいかかっていた

それが今やもう何も考えずともコンタクトを付けられるようになっている。両目を付けるのに1分もかからないだろう。いつから出来るようになったかはもう覚えてないが、無意識で出来るのだからこれは完全に習得したと言えよう。


車の運転は基本的には道の真ん中を走っている。運転の基本事項だし、一度は運転免許を手にしたのだから当然だ。アクロバットだって、脚の感覚が完全にどっかいっちゃう訳ではない。それでは着地も出来ないことになる。最低限、バク転と呼べるぐらいには形になっている。マイムだって、それだけに集中して形を作ればやることは出来る。マイムの分解構造の理屈は理解しているし、何より毎日ご飯を実際に食べているのだから。
ただ出来たことがあるからと言って、感覚として習得できているかどうかは別問題なのである。めっちゃ意識しないと出来ないことは出来るようになったとは言えないだろう。どれも空間ナントカ能力が欠如している故のことだと思うが、コンタクトを何も考えずに付けられるようになったように、いつか自然に出来るようになったら良いなと思っている。

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