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僕が部活に入らなければならなかった歪んだ動機

 2000年代に高校生だった僕は陸上部に所属していました。元々走ることに特に興味があったわけではありません。そんな僕がなぜ陸上部に入ることになったのかの理由や、実際に活動して感じたことを話したいと思います。

※この記事にはネガティブな内容を含みます。


なぜ陸上部に入部したか

 僕の通っていた高校では部活への入部が強制でした。入らないという選択肢がありません。1年生の4月に各部活の説明を受け、体験入部をした後に入部届を提出しなければなりません。当時はそれが当たり前のことだと思っていました。高校生は部活をするもの。それを疑う価値観などありませんでした。

 どの部活に入るかかなり悩みました。部活には、毎日、厳しい顧問の元、激しい練習をするサッカー部のような運動部もあれば、週に1回しか活動していない物理部などの文化部もあります。僕は、中学時代は剣道部に所属していましたが、高校では「新しいことに挑戦したいから」という理由で陸上部を選択しました。この「新しいことに挑戦したい」というのは、自分に言い聞かせていた名目の動機付けであり、心の深いところは、もっと歪んだ動機が存在していたと思います。当時はその歪んだ動機をわざと脳内で整理しないようにしていましたが、本記事では言語化していきたいと思います。

 この歪んだ動機を話す前に、当時の僕が感じていた高校生活への恐れについて触れます。それは、所属する部活によって、これから始まる学校生活のスクールカーストのスタート地点が決まってしまう可能性です。

 スクールカーストは原則、運動部が文化部より上位にあり、特にサッカー部、野球部等の目立つ運動部が上位に来ます。文化部に関しては、毎日活動している吹奏楽部などの一部を除き、一般的に運動部よりカーストが低くなります。(もちろん、これは僕がなんとなく感じていた主観的なことなので、客観的な事実ではありません。)

 大人になってしまえば、スクールカーストなど、かなりどうでもいい話だと気づきます。人目を気にして生きていては苦しいだけ。自分がやりたいこと、やりたくないことは自分で判断し選択していくのが最良なのですが、当時の僕はそのような価値観を持ち合わせていません。

 よって、1年生の時点で、高校生活をしくじりたくない僕は、運動部に入らざるをえなかったのです。運動は苦手であり、本当は入りたくなかったのですが、仕方ありませんでした。なぜ、陸上部を選択したのかというと、運動部の中でも球技と違って高度な技術を必要とせず、ただ走る練習をするだけという印象があったからです。もちろん、練習が辛いものになるのは想定していました。ただ、球技をやっている自分は想像もつかず、消去法で陸上部を選ばざるを得ませんでした。これが本当の入部の動機です。


陸上部に入って良かったこと

 さて、消去法で入部した陸上部ですが、入って良かったことがなかったわけではありません。良かったのは、友達ができたことです。

 高校時代の僕は、中学時代と比べて友達を作るのがかなり下手になっていました。というか、中学時代と高校時代では友達作りの戦略自体が全く異なるものと感じています。僕は小学校からの継続で公立中学校に進学していたので、物心着いたころから知っているメンバーでしたし、多くの生徒とはある程度友達の状態でした。それに対し、高校では入学と同時に知らない人々の群れに投げ込まれた状態から始まります。そう、高校1年生というのは、新しい共同体で、一から友人関係を構築していく必要がある、僕にとっては最初の試練でした。何の戦略も持っていなかった僕はクラスでの友達作りに失敗しました。

 しかし、クラスのでの友達作りに失敗しても、部活が救いでした。僕は特に社交性の高い人間ではなかったですが、部活のメンバーとは毎日顔を合わせ、練習の合間に雑談をする関係性でしたので、友人関係を築くことができました。ただ、この友人関係は中学時代の友人関係とは少し種類が異なるものです。どういうことかというと、気兼ねなく頼み事ができる仲であることに重点を置いた関係性だったということです。例を挙げれば、自分が教科書を忘れた時、他のクラスに教科書を借りれる関係性の友達がいれば、授業中に恥をかくことを回避できます。一緒にいればそれだけで楽しい友人関係だけでなく、利害の一致による友人関係の重要性を人生で最初に感じたのは高校時代でした。

 このような友人関係を構築できたことは部活をやっていた最大のメリットだと感じています。


陸上部の負の側面

 ここまでは陸上部をやっていて良かった点を挙げました。次に悪かった点を挙げていきます。それは陸上部員の間で陸上部員以外の生徒を馬鹿にする空気ができてしまったことです。

 僕の高校では、「意識高い」という独自の概念がありました。これは、一般的に世の中で使われる「意識高い」とは微妙にニュアンスが異なるもので、説明が難しいのですが、今振り返ってみると、「教員にウケのいい」ことを表していたのだと思います。具体的にいうと、部活の練習中に私語をしないとかいう類の話です。当時の僕たちはそれは教員にウケのいいだけの行動であることを半分気付きつつ、半分は目指すべき方向だと信じ込んでいました。

 僕たち陸上部は、「校内で最も意識が高い部活だと自覚を持て」という旨のことを顧問の教員から言い聞かされていました。僕たちは、その顧問の恐怖政治に従い、その価値観を洗脳のごとく信じ込まされていました。練習中に私語をしないのが正しいといった意味不明の価値観の押し付けられ、僕たちのストレスの矛先は、このような理不尽な扱いを受けていない他の部活に、向かいました。

「○○部のやつらは大会の空き時間にカードゲームで遊んでいるらしい。意識が低い。」

 もちろん、大人になった今は、自分と異なる価値観で生きている人間を見下すことが不毛であることを知っています。ただ、当時は、自分たちのやっている「意識の高い」行動を正当化するため、自分たちと異なる人々の陰口を叩くことを日常的に行っていました。

 学校の外側の世界に接することが困難だった2000年代の高校生(少なとも僕)は、簡単に価値観を植え付けられる脆い存在だったと思います。

 他にも部活をやるデメリットはありますが、それは世の中で一般的に言われているデメリットなので、ここでは割愛します。自分の過ごした高校生活では一般的なデメリットに加え、「意識の高い」呪いによる負の作用が大きかったと思います。


僕にとって部活とは

 いい面と悪い面を振り返ってみて、僕の高校生活において部活とは何だったのかを考えたいと思います。僕は友達が作るのが得意ではなかったので、部活に入る価値がなかったわけではありません。ただ、コスパは悪い。毎日数時間部活に時間を割かなければならず、無駄なストレスまで抱えることになりました。僕にとって部活とは、高校生活で孤立しないための重税だったのだと考えました。そんな重税を課せられたとしても、入部しないよりは入部した方がマシだったのだろうと今でも思います。


大人になった今思うこと

 高校時代の僕は、人間関係がうまくいかなくなることを、過度に恐れていたのだと思います。常に、自分が教員や他の生徒からどう思われているのかを気にし、少しでも「普通の生徒」であるふりをするのに徹していました。高校卒業後は、大学生活、就職活動や社会人生活を通して、他人と比べることの不毛さが徐々にわかってきました。人生は、自分が楽しい又は辛くないと思う方向に仕向ければ良い。それが最も重要です。

 その一方で、共同体に適応することが全く不要というわけではないことも、高校時代から学びました。気兼ねなく頼み事ができる友達の存在は人生を楽にしてくれます。

 自分が本当に好きなことと共同体に適応することは両方とも人生に必要です。自分が本当に好きなことを人生の主軸としつつ、テクニックとして共同体に適応するコストも払っていきます。共同体への適応に過度に消耗するのではなく、人生の中でのバランスを考えて、できる範囲でコストを払っていくのです。

 高校時代、意識の水面下にあったあの憂鬱な感覚、今後の人生においてもうまく付き合っていきたいところです。


#部活の思い出

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