匿名の危うさ

SNSでは人々が思いの丈を話し、時にぶちまけている。身近な人々への不満や、社会に対する嫌悪をあからさまにすることが出来る。しかも、それに対する「いいね」の承認も付いてくる。「いいね」があるということは、「悪いね」もあるわけで、時に炎上したりもする。でも、たいていは炎上されるほど注目もされないので、SNSの藻屑と漂うに留まる。

世の中には言うに言えないことがある。そんな個人の苦悩をぶちまけ、他者に承認してもらうには、SNSは恰好のツールだ。現実場面で人と関われなくたって、そのことを話せなくたって、匿名の仮面をかぶって強気で発信できる。その意味では弱者の味方にもなりうる。日常の留飲を下し、また明日、辛いけれど一日をしのぐ原動力の一つにだってなる。同じような不満や悩みを抱えている人が互いに「いいね」や同調をし合って、自分は悪くないとも思える。

他方で、匿名の発言は責任を取らない。煽っても罵倒しても、誰かを傷つけても責任を取らない。

また、強気の言葉で誤魔化すことで、自分の弱さに向き合えなくすることもある。

匿名の良さが生きるのは、手を尽くしてもどうにもならない事柄を、そっとつぶやくときだ。自分を誤魔化すために、言葉で蹴散らかすことは、その人にとってもプラスにはならない。

自己主張のトレーニングもできていないのに、匿名で強気になるだけなら、現実世界で生きていきやすくなろうはずもない。

ちゃんと言えるようになろう。伝えられるようになろう。それでもダメなことは、そっとつぶやこう。それが自分で責任を取れる範囲のことならば。


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