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旅は血となり肉となり、そして心を動かし続ける。

空気の冷たさに、いつもより早く目が覚めると、薄い青が充満した部屋の中が記憶の引き金になった。少し冷えた肩先と、乾燥でヒリヒリとした喉が、旅先に向かう飛行機の中を思い出させたのかもしれない。

その間、どんどん湧き上がってくる現実味のある感覚に引き止められていた。

長いフライトの後、乗り継ぎで初めて降り立った空港を歩く。手荷物だけ抱えているけど、寝起きの体になじまず重たく感じる。足がむくんでる。少し歩きたいけどどっちへ行こうかな。コーヒーのいい香りがする。カフェを覗いたら、すごく甘そうなパンをかじってる人を見かけた。眠たそうな顔を、テーブルに肘をつけて手のひらで支えてる人。長く連れ添ったご夫婦だろうか、コーヒーに口をつけつつほんのひと言、二言交わしながらゆったりしている二人組。コーヒーマシンのスチームの音、お皿やカップ、カトラリーが触れる高い音、乾燥した空気の中に匂いと一緒にこちらに届いてくる。
空港の朝は、なんだか大きなホテルの朝食会場のようだった。結局まだお腹も空かず座っている人たちを眺めながら、次のゲートに向かう。新しい場所へ、もうすぐ着く。

空港から出た時の冷たい空気、現地到着日の目的地に一番近い駅に降り立った時のざわめき、先を急ぎたい気持ちと目に入る初めての街並みの色・聞きなれない言葉の音の抑揚をもっと味わいたくて立ち止まっていたいような思いが混じる。これから始まる旅の高揚した気持ちで、スーツケースをひく片手にかかる重みは感じない。

あれは、どこの空港だったかな。
目に浮かぶ駅舎は、あの小さな国だっただろうか。

どんどん溢れてくる記憶のかけらが、光を受けて輝いているようだった。

泊まった場所で迎えた朝、寝ぼけて一瞬どこだかわからなかったことや、駅に迎えに来てくれた宿泊先の人が持った「KYOKO」と書かれた紙や、お互い別々の言語を話しているのに通じ合えたこと、もう少し延泊したいなあと思っていたらキャンセル出たから一部屋空いたよと連絡を受けたこととか、そんな旅の些細なことが全部、体の隅々まで記憶として残っていた。


この約2年間、日本を出ないで過ごしてそれにも慣れたつもりだったけど、やっぱり旅が恋しい。2年近く前に、急に変わってしまった日常の中では、辛くなるから無意識に思い出さないようにしていたのかもしれない。
早朝の冷たい空気が、急に記憶とリンクして押さえつけていた蓋を開けた。もうそろそろ、旅の時機かもしれない。

パスポートと、必要最低限のものだけ持って、飛行機に乗る。
大げさかもしれないけれど、長時間のフライト前は、それなりに覚悟してしまう。文字通り空の上に行くので、感覚的にも位置も「死」に近くなるような気がしている。人生の終わりだって日常の延長上にあるはずなんだけど、普段の暮らしを続けていると、まるでそれがいつまでも続いていくような錯覚してしまうことさえある。だけど、その流れをいったん止めて、身軽なまま見知らぬ街に行く。それまで「絶対必要だ」と思い込んでいるもののいくつかも家に置いたままにして。そうして着いた場所は、短期間でさえ、それまでの固定観念を壊してくれる。当たり前だと思っていたことができずにいて、また子供に戻った感覚になることもある。フライトで、一度それまでの固定観念と一緒にいた人生を終えて、新しい土地でまた小さな子供みたいなところから新しい価値観と共にもう一つの人生を開始させる。そのくらいの、意志を持って旅をしている。結果論かもしれないけれど。

日常が「繰り返し」だと感じるくらいになったら、旅のタイミングだったのだ。そうしてわたしは深く呼吸できていた。

少しだけ、今も苦しい。
また旅の時間の中に身を置いて、深呼吸したい。



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