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人生は、いいようになっていく。

冬の寒さと暗さのせいもあって、時々ふと闇の中にいるような気持ちになることもあるのだけど、案外そうでもないのかもしれないと小さな灯りが見えた気がした。
それは、これまでを振り返った時のこと。

HxNetというオンラインのコミュニティに参加した。
これは、「変化を楽しむ大人のコミュニティ」というコンセプトで始まったもので、世代や場所を越えたつながりが持てる場となっている。
詳しくは、こちらのリンクから:👉

このコンセプトに共感した人たちが集まり、また、15名と少人数なこともあって緊張はしなくて済んだ。
時間内の課題で、人生の感情グラフを書くことがあった。紙の真ん中に横線を引き、そこが「0」地点。そして縦軸は「+」と「-」。人生の波が、そこに見えてしまう。わたしは一瞬、書くのが怖いと感じた。
本当は0歳を起点に書き始めるようだったけど、今回は10分間のワークだったので、社会人は働き始めてからのグラフを作成。

感情グラフ note


書くのをためらったのが20代のあたり。
やりたいこともあったのに、「こんなもん」と諦めていた。楽しいこともたくさんあったけど、毎日を生きるのが精一杯で、夢を見たところですぐにかき消されていった。ここでは詳しく書かないけれど、自分の力ではどうしようもないこともたくさん起きて、その度に無力感と、それに抗う力を試されている感覚があった。だけど若くて体力もあったから、なんとか生きていたけれど魔が差していたらどうなっていたか分からない。
それでも頭の声の方が正しいはずと、自分の腹の底から聞こえてくる声を思いっきり無視し続けた。そうしたら、「オイオイ、気づけよ」って背中をどつかれるくらいの出来事が起きた。小出しにされる出来事に気づかないでいると、思いっきり後ろからどつかれるんだよな。
だから、頭の声を聞くのをやめた。そうして決めたのは、オーストラリア行き。29歳だった。(オーストラリアの話は、長くなるからまた今度)

やっとこのあたりからグラフがプラスに上がった。それまでの20代のグラフは、0より下をうねうねしていた。心なしか線の色も薄く細くなっていた。そりゃ、オーストラリアには2年半もいたから苦しいことも悲しいこともあったけど、それ以上に「人生の判断基準自体を自分で決めていい」のだと気付けたことが大きかった。その頃は、目の前にどんどんやってくる選択肢そのものを取捨選択しては選び、また別の選択肢に向き合っていくことに、ただただ必死だったけれど。帰国を選んだことも、帰国してすぐに日本の中で見知らぬ土地へ住んでみたことも、自分で舵を切っていく醍醐味を知った後だったから自然な選択だった。それから、地元にまた戻ったことも。その次の選択肢も。

30代からのグラフは、ずっとプラスの中で変動していた。上下はあったものの、マイナスに下がることはなかった。
20代の頃に戻りたいとは思わない。「他の誰かが決めた選択肢にしか正解がない」、「それを選びたくもない自分はおかしいのかもしれないし、そんな自分は幸せになんかなれない」と思い込んでいたあの頃は不自由だった。選ぶものに、間違いも正解もないはずだったのにな。
だからこそ、それを知ってる今の自分の方が楽しい。

グラフを書いて20代を振り返ったら、30代から上り調子だったことに気付けた。そうしたら、他の参加者さんたちに発表するときに、気づいたら口から
「これから先も楽しみ」
なんて言葉が出ていた。あれ?わたし、楽しみなんじゃん。

20歳ころなんて、今の年齢になったら全てが決まりきったものになっていると思ってた。その時知っていた大人の姿の数だけしか、選択肢がないと思っていたから。だから年をとっていくのも嫌なものだと思っていた。
でも!案外、悪くないよ。
だからこの先も楽しみなんだよって言ったら、20歳のわたしは「嘘!」って言うかもしれない。あの頃の不安だったわたしに、「好きなこと、心配しないで思いっきりやればいい」って何百回も伝えたい。これは、10年後のわたしを想像しても、今のわたしに同じことを言うだろう。それならやっぱり楽しんじゃえばいい。
きっと、人生は、いいようになっていく。





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