見出し画像

辛いと感じる時に歩いているのは、山道ではなく平坦な道なのかもしれない

何かに挑戦して思うような結果が得られない時、苦しいと感じることも多い。
そんな時に、例えられるのは山登りだったりする。
もちろん、それは「登り坂」。

画像1

実際の山登りも大変なもの。
去年、2000m越えの山に登ったけれど、途中、ほんとにきつかった。
それでも、ひたすら足を動かす。汗だくで、休み休み。

画像2

登り続けると視界が急に開けて、下に広がる景色の鮮やかさが目に飛び込む。
途中、「なんで登ってんだろう?」なんて思い始めても、その景色でまた進む力をもらえた。
そうして登り切った景色の素晴らしさと達成感に、それまでの疲れは吹っ飛んだ。


でも、実は挑戦の時に目の前に続くのはひたすら平坦な道だ。

先がどこまで続くのか、今いる場所からは見えない。
歩き続けても、そこまで景色は変わらない。
足に疲れを感じ始めて、ずいぶん歩いてきた感覚はあるのに、まだまだ道は続いているようだ。
自分が今、目指す地点のどこまで来ているかもわからない。
本当は、戻った方が良いのか?迷いさえ出始める。
山に登っているのだったら、見下ろす景色と見上げる行先で、どこにいるのか、あとどれくらいなのか見当もつくのに。

画像4

自分の前に伸びる影に、時間の経過ばかり感じて焦ったり、本当にこの道でいいのか不安になったり。

この平坦な道は、分かりやすい大きな変化が、いつも目の前に現れる訳でもない。
「挑戦」って壮大な響きを持つ言葉だけど、実は小さくて地味なことを繰り返し続けていく行為でもある。
結果が出なかったり思うようなものではなかったりすることだって当然ある。

そういうものかもしれない。
ただひたすら目の前に見える道を、一歩ずつ進むしかないのだ。

画像3


…と吹っ切れたら、翌日に仕事のオファーが来た。
しばらく前に応募していた案件だった。
もがいて焦っていた時には、空を掴むばかりだったのに、いい意味で諦めたら欲しいものが手の中に入ってきた。

あの悩んでた時にはもう2度と戻りたくないけど、そうしてまで進んできたからこそ今見える景色がある。その頃のことなんて、ずっとずっと前のことみたいだ。

やれることをやっていたら、タイミングは必ず来る。
それまでヤキモキするし、不安になったり焦ったりもする。
だけど、その気持ちも今辿る道のおまけなんだとわかれば、やみくもに落ち込まないで済む。

落ち込む必要なんかないって言いたいのでは決してなくて、ほんの少しでも前に進んだり、気持ちのいい木陰を見つけて一休みしたりしながら行きたい方へ歩いて行けばいいんじゃないのかな。


画像6

(時々は余裕ぶってみたい↑ 笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?