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書くことを教えることに何の意味があるんだろう

作文をはじめ文章の書き方を教えはじめてから、いつの間にか20年以上が経ちました。

教えはじめた2003年には、世の中にスマホもタブレットもなく、子供達は手書きで学習するのがまだ普通でした。

ですから、
「子どもには文章を書く楽しさを知ってほしい」
「書くことに困らない子になってほしい」
というお声も多かったのです。

しかし、この20年で世の中は激変しましたよね。
小学生のタブレット学習はもはや当たり前。手書きで学習することが激減しました。

ここ最近のAIの進化は目を見張るものがあります。
投稿の記事、ちょっとしたレポートに始まり、台本や書籍の中身まで、ありとあらゆる文章を一瞬で生み出してくれます。

また、SNSなどWEBで使う言葉は、限りなく話し言葉に近いものであり、今後ますますWEBでのやり取りが主流になると思われる中で、正しい書き言葉など必要とされなくなるのではないか……。

その流れの中で、書くことを教えることに何の意味があるのだろうと、ふと疑問に思うことが増えました。

「もう書くことは全部AIがやってくれるでしょ!」
そんな言葉をたびたび目にするようになり、さらに書くことを教える無意味さを痛感してしまう今日この頃。


その一方で、私が指導している生徒さんたちは、書くことに真摯に向き合っています。どの子も、自分を表現しようと工夫を凝らして作文を仕上げています。

そうなんです。
書くことは、自己表現なんです。

音楽や美術、スポーツなど、生まれながらの特別な才能がなくても、訓練次第で誰でも、自己表現のツールを手に入れることができます。
高価な楽器も道具も必要ありません。紙と鉛筆、ただそれだけあれば誰でもできる何ともありがたいツールなんです。

誰に対してもこんなにオープンな自己表現って、あるでしょうか。

唯一無二の私を、AIに表現してもらうなんて、ありえない。

そう思う子や、親御さんが共感してくれたらそれでいい。

そんなふうにも思います。

だから、淡々と、伝えるべきことを伝えていかなくては。


久しぶりのnoteは、雑感を垂れ流すだけになってしまいました。



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