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インド 女子ホッケーキャプテンの歩み【翻訳】

CHAK DE INDIA!
昨日オーストラリアに勝利した
インドの女子ホッケーキャプテン
ラニ・ランパル選手のお話です。

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頻繁におこる停電、
寝ていると耳元にまとわりつく蚊、
2食の食事、雨が降ると水浸しになる家、、、。
そんな生活から、抜け出したかった。

両親は、懸命に努力しましたが
できることは限られていました。
父は荷車引き、母はメイドとして
働いていました。

家の近くにホッケーアカデミーがあり
毎日、選手の練習を
何時間も見ていました。
私は、どうしても選手になりたかった。

父の稼ぎは、1日80ルピー(約120円)。
私にホッケーのスティックを
買うことは到底無理でした。

毎日のように、コーチに
「私にも、教えてください」と
お願いしました。

でも、栄養失調の私は、
「お前は、練習を乗り切るだけの力がない」と
コーチに、断られました。

ある日、グラウンドで
ホッケーの折れたスティックを見つけ
それを使って練習を始めました。

トレーニングウェアを持ってなかったので
普段着で走り回りました。

でも、私は自分の力を証明したかった。
私はコーチに、チャンスを懇願して
「すごい苦労して、やっとのことで
 納得させました!!」

でも家族に話すと
「女の子は家のことをやるもの」
「スカートをはいて、ホッケーをするだなんて
 許しません」

わたしは、
「お願いだから、やらせて。
 うまくいかなかったら、
 望むことを何でもするから」
と頼み、家族は、しぶしぶ許してくれました。

トレーニングは、早朝から始まりました。
家には、時計もなかったので、
母は起きていて朝の空を見て
私を起こす頃合いを
確認してくれました。

アカデミーでは、選手は
毎日500mlの牛乳を
もっていく必要がありました。

私の家は、牛乳を200mlしか買えなかった。
だから、私は誰にも言わずに
牛乳に水を足して飲みました。
どうしても、プレーをしたかったのです。

コーチは、何かと支えてくれて
ホッケーの道具や
シューズを買ってくれました。
そして、コーチの家族と一緒に
私を住まわせ、食事の面倒を
見てくれました。

私は、練習を1日も休まず、
必死にトレーニングしました。

最初のお給料のことを覚えています。
ある大会で優勝して
500ルピー(約740円)を獲得しました。

そのお金を、父に渡しました。
父は、こんなに大きなお金を
手にしたことがなかったそうです。

私は家族に
「いつか自分の家を持つんだ」と約束し
そのために、全力を尽くしました。

州の代表として
いくつかの大会に出場した後
15歳で、ようやくインドの全国大会に
出場できました!

それでも、親戚からは
「いつ結婚するのか」と
聞かれるだけでしたが
父は『心ゆくまで、やりなさい』と
言ってくれました。

家族の支えと共に
私はインドのために
力の限りを尽くすことを心に決めて
ついにインド代表ホッケーチームの
キャプテンになりました!😃

それから間もなくして
私が家にいるときに
以前、父が一緒に働いていた友人が
家を訪ねてきました。

彼は、孫娘を連れてきて
「この子は、あなたに憧れて
 ホッケー選手になりたいんだ!」
私は、嬉しくて、思わず泣きました。

そして2017年、
ついに家族との約束を果たし
家を買いました。
家族で、ぎゅっと抱き合って、泣きました。

まだ終わりでは、ありません。
皆が、ずっと夢見ていたもの。
それを手にして
家族やコーチ、皆に
恩返しをしたいのです。
- 東京オリンピックの金メダルで。✨✨✨

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