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「これさえ終われば時間ができる」は幻想。【ユタカジン】

頭では分かっているはずなのに、いつもその罠に陥ってしまう。

スケジュールが詰まっていたり、残業が続いたりして疲れがたまっている時、やろうと思っていることになかなか手が付けられないとき。

「この仕事にキリがついて時間ができたら、アレを始めよう」
「今の状況が落ち着いたら、少し手が空くはず」

ついつい未来に期待してしまうけど、自分が思っているような「余裕があるスバラシイ日」なんていうのは、ほぼ来ない。
「いまさえ頑張れば」も同類で、それをやっていると終わるころに、次の「頑張ること」がやってくる。

あぁ…あれに手を付けようと思ってたのに…。
やろうとしたことは、次の「最適な日」に先送られる。

いや、そもそも「最適な日」って何?
忙しさやストレスから解放されて、ゆっくり紅茶を飲みながらじっくりと書類に目を通す…そんな未来は「頑張っていれば、いつか王子様が…」的な幻想にも近いのかもしれない。

先日も、私はこの罠に陥った。
私は専門学校の講師もしているが、非常勤なので7月末からのこの期間は夏休み。通常の日に比べ、授業やその準備、添削などに割かれる時間が週1~2日分は空くことになる。
「よし!夏休みになったら、あれを始めて。しばらく手を付けてなかったこれも再スタートして…」

ところが実際にその日を迎えてみると…
他の仕事が必要以上にタイトになり、連日夜更けまで作業して日々のリズムが狂いまくったり。
家族の入院や手術の話が浮上し、病院に付き添って1日の2/3を過ごしたり、気分的にもそわそわしてきたり。
そういった現状に直面してやっと、「そうだった…」と思い返す。

あれほど「頭の中で作り上げた未来に期待しない」と思っていたのに。現実逃避と先送りの罠は、あまりにも強力だ…

もう一度、照準を「いま」にセットする
何度でも何度でもセットしなおす。

未来の予定まではわからない。
思ったような「始めるのに最適な日」が来るわけではないのだから、
最適解はやはり「1分でもいいから、いま手を付けておく」になる。
何もしなければ、たぶん明日からも今日と同じような日々を繰り返す。

「その日」を待たずに、出来るだけ毎日、ちょっとずつちょっとずつ手を付ける。
「習慣化しましょう」とか「早めにやりましょう」とか、そんなことではなく、ただ「とりあえず 今日もやっておく」。
でないと、いつやったらよいかを見失ってしまうことにもなりかねない。

「いまは時間がない」なら、自分が思う「時間がある日」はいつ来るのか。
「最適な日」「余裕がある日」、この幻想から抜け出せると、実際に時間に余裕がある日とない日の差は、単にその作業を1分やるか、30分やるか、という違いだったりもする。

私たちの毎日を形作るのは、「いま」何をやるか。「今日」何をやったか。
それを意識することで、「時間がない」幻想も、あわせて消えていくのではないかと、改めて思う。

One day never comes.  Now is the time.


<当回はnoteマガジン「ユタカジン」への寄稿です>

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