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読書記録:「ペスト」 カミュ

都市封鎖に対する人々の反応の推移

話題になっているカミュの「ペスト」を読んでいる。458ページなかなかの分量。今267ページまで読み進めた。読み進め途中の気持ちを残しておきたいので、とりあえず今の時点での感想を書き留めたい。

特に都市封鎖された後の人々の反応の変化の描写が興味深い。なぜここまで隔離された人の反応を描写することができたのだろうか。カミュの執筆のきっかけを知りたい。この小説は確かにフィクションだけれどもこの背後には紛れもない生きられた現実があるに違いないから。

いくつか特に心に刺さった文章を引用。このペストという新たな日常に関わる仕事の様子が丁寧に描かれている。例えば、死亡者に関わる仕事。当初、当局は仕事のなり手がいないのではないかと危惧していたが、結局杞憂であった。なぜなら、疫病のせいで失業した人々がいる間は働き手に困ることはなかったからである。

 まったく、ペストは、疫病の初めに医師リウーの心を襲った、人を興奮させる壮大なイメージとは、同一視すべき何ものももっていなかった。それは何よりもまず、よどみなく活動する、用心深くかつ遺漏のない、一つの行政事務であった。(p.265)
 この点から見れば、彼らはペストの世界そのもの、平々凡々であるだけに、一層威力のある世界に、はいっていったわけである。(p.267)

読み終えて

「いつになったらこのペストは終わるのかね。」

これと全く似たようなセリフを一昨日、スポーツジムのサウナの中で聞いた。「いつまでマスクをしなけりゃいけんのかね。」今、アフターコロナ、とかウィズコロナ、なんて言葉も出てきているけれど、私自身、どこかで2020年12月以前のようにその気になれば気ままに海外旅行にいけた時のように戻ることを期待している。しかし一体、どうなんだろう。カミュは最後に、あれだけ猛威をふるったペストが確たる理由なく徐々に衰退し、街は疫病に対する勝利宣言をする。このペストの衰退がネズミたちの復活により確実なものとなるあたり、非常に現実味がある。このペストも現代においても死滅はしていない。それは、目立たないところに潜んでいる。あるいは、コロナウィルスに対する人類の付き合いも徐々に日常に溶け込み目立たなくなりはしてもなくなりはしないと暗示されているようだった。

小説を読み終えた後の余韻

長編小説を読み終えた後のまだ物語の世界の余韻が体内に残っているような感覚を久々に味わっている。このペストはフィクションでありながら、現代の社会で起きていることを予言していたかのように書かれていて、小説の世界と私が認識している世界とが折り重なるようなおもたい読書体験になった。

スマートフォン越しに情報を摂取することが多い中で、紙の長編小説を読む、というのは中々のスローな体験であることに改めて気づかされた。

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