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交換日記

「note、読みました」、とLINEが届いた。

そこには、興味本位や冷やかしでは決してない、とてもまっすぐで優しい感想の言葉が並んでいた。

彼女からしたら私は、思春期の中のほんの数年を同じ校舎で過ごしただけの相手かもしれない。
彼女はいつも、狭い教室の中、我が物顔でわざとらしく騒ぐ集団を一概もせず、自らの好きなものの話を夢中でしてくれた。
おっとりとした雰囲気をまとっている一方で、好きと嫌いがはっきりとしており、私だったらヘラヘラと受け入れてしまうような苦々しい言葉にでさえも、ぴしゃりと線を引き、まるで「ここからは決して入ってくるな」と言わんばかりの強気な表情で静かに応戦することができる人だった。
私は、そんな彼女に心酔していたのだ。

島外からきた、という特別感によって生まれる一時的なお祭り騒ぎや、周囲からのおべっかと根拠のない批評にも、冷めた眼差しを向けてた彼女は、もしかすると警戒心に似た恐怖を虚勢で隠していたのかもしれない。

ある日、わたしの机を覗き込み「すごくかわいい絵描くんだね」、とノートの端に書いた落書きを見て、彼女は言った

「ブスって言われてるけど、みやこ全然ブスじゃないよ。その絵に似てる。かわいいのに」

私は、初めて他者から外見と、密かに好んで書いていた絵を褒められた。

その言葉はどんなお世辞よりも嬉しくて、それこそ彼女の言葉だったからこそかもしれない。普段、大きな瞳で挑戦的に周りを威嚇するように無言の圧をかけている彼女が、私に柔らかく微笑んでくれたことに、優越感にも似た喜びを感じた

そして、その日から私たちは交換日記をはじめた

帰り道に選んだ小さいイチゴ柄の可愛いノートには、いつも端にイラストを添えて

可愛い文字の書き方も教えてくれた

私の書くやけに整った字は、どこか年寄り染みていて、彼女のように丸っこくころころとした字を書いてみたかったから、私はわざとぎこちない文字を懸命に練習して、彼女へノートを渡した

けれど、そんな日々は長くは続かなかった。私は最低なことをしてしまった。

「最近、あの子とばっかり一緒いるよね。楽しいなら別にいいけど」

いつも賑やかさの中心にいる彼女たちからの、一見嫉妬や執着に聞こえるその言葉は、そんな生優しい感情なんかではなく、暗に私を二度と輪に入れないと示唆する言葉だった。誰も彼もを馬鹿にしたように笑っている彼女達の影響力は絶大で、上履きどころか居場所すら取り上げてしまうほどだと、嫌になる程この島にいた私は知っている。

その次の日から、私は交換ノートを自宅の机に置いたまま教室へ行くようになった。最低な自己保身のために、居心地の良かったあの子から遠ざかるようになったのだ。

何度か、交換日記の行方を聞かれたが、罪悪感から目を合わせられず、失くした、と言い続けた。そのうち大好きだった彼女は私のクラスに来なくなり、最後に見た顔は私が心酔した、自分の許したひと以外受け入れない、ピシャリとした眼差しだった。

少しばかりしてから徐々に会話する機会は戻っていったけれど、以前のように休み時間のたびに声をかけることなどできなかった。そんな資格がないどころか、近づきすぎて仕舞えば、がっちりと絡みついたしがらみが、私を通じて彼女へ及んでしまうだろう。

そして、渡す宛を無くしてしまった、2人で選んだノートに、私は当てつけのように毎晩歌詞を書き続ける。

「本当は、絵よりこっちの方が好きなんだ」と打ち明けるつもりだった作詞を、1人ベットの中殴り書いて、書いて、その一冊の最後の一枚までもが私の独りよがりな空間になってしまった。きっと彼女なら、茶化すことなく素直な感想をくれるだろうと思ったら、私はとてつもなく大切な時間を無くしてしまったことに気づいて、また自分が嫌いになった

今更、謝れることはない。だけど、あなたは私にとって憧れであり、わずかな間に人生を左右してしまうような余韻を残してくれた。だから、私は勇気を振り絞って、同窓会への参加のメッセージを送ったけど、結局会うことは叶わなかった。

好きを貫くその姿勢、誰の言葉にも揺らがないしなやかな姿、春を告げる素朴な名前の彼女の目に、いつか私がまた映ることがあるかは分からない。

「note、読みました」と言う一文から始まった彼女からの少し長めのLINEは、あの日弱かった私が渡すことを諦め躊躇った交換日記の続きのようだった。

遠く離れた地で、彼女が彼女らしく、日々を生きていることを私は嬉しくもあり、寂しくもあり、やはり彼女だ、と誇らしくさえある。

あなたは、私を助けてくれたのに、私は何も返すことができなかった。でも、謝らない。謝ったところで、きっとあなたは許すしかなくなるから。だけど、ひとつだけわがままを言うのなら、あの頃できなかった、私が私で生きること、そしてその生き様をつらぬけたら、もう一度友人になってください。

私が今、作詞家を名乗ることができているのは、彼女がビタミン剤のような笑顔と言葉をくれたおかげだ。


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