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教育移住インタビュー:藤森隆さん(前半)

私の周りでは小さいお子さんを持ったご家族が教育移住をされる人が増えてきています。そんな中、長野県佐久穂町に2019年に開校された大日向小学校への入学を機に教育移住されたのが、都内で家業を営んでいる知り合いの藤森隆さんです。今回久しぶりに連絡を取り、教育移住のテーマでインタビューさせていただきました!特に明日お届けする後半の最後に頂いた、移住者の目線からローカルの和歌山の皆さんへ頂いた超嬉しいメッセージとは?!どうぞ最後までご覧ください!
前半:「教育移住に至るまでの経緯」
後半:「実際に移住してからの生活と、メッセージ」

Facebookを通じて何やら藤森さんが長野へ移住したらしいぞ?!というのは少し前から気になっていました。しかも学校に進学することがきっかけ?!そんなに魅力的な学校ってどんな学校だろう、と思い、その時に「大日向小学校」の存在を知りました。
仙石:東京から教育移住を決心された藤森さんに聞きたいことがいっぱいです!インタビューさせてください!
藤森さん:ぜひ!よろしくお願いします!
仙石:では、藤森さんの家族構成、お仕事について聞かせてください。元々長野には所縁があったのでしょうか。
藤森さん:家族は僕たち夫婦と子供2人(7歳1年生長女4歳年少長男)です。去年の春、長女が大日向小学校に入学するのをきっかけに、小学校のある佐久穂町の隣町に移住してきました。ちなみに4歳の息子は元祖「森のようちえん」と言われる「ちいろば」に4月から通うことになっています。
今住んでいるところは、新幹線通勤を考えて選んだ佐久平駅から歩いて10分の借家ですが、今後は学校のある佐久穂町に引っ越しを引っ越しを計画してます。そうそう、この辺のエリアは空き家が沢山あるんですが、売家はあるけど借家がない。それは移住を受け入れる側として解決すべき課題の一つだと思います。
仙石:なるほど。借家の話は和歌山でも非常に参考になりそうです。次に、お仕事についてお話いただけますか?特に同じ家業を継いでいる身として、従業員にどのようにお話されたかなどとても気になります!
藤森さん:仕事は、創業50年の家業であるジュエリー会社の経営者兼ジュエリーデザイナーです。工房としては3代目、家業としては2代目になり、東京に20人のスタッフを抱えています。元々は、週2往復する予定でいたのですが、新型コロナの状況で今は週1-2日東京にいるような状態です。
仙石:シンガポールにも数年前に出店されましたよね?
藤森さん:そうです。一昨年はシンガポールに毎月1回以上通っていたので、3拠点になるかもと思ってましたが、これからどうなるかは未定ですね。
社員の反応は、最初はみなきょとんとしていました笑 ただ、去年の今頃には想像もしませんでしたが、コロナのお陰で自分だけでなく社員の働くスタイルが変わり、リモートワークが浸透したのでその点は助かりました。もう一つ、近くに住んでいた両親とのコミュニケーションが減ることが懸念だったのですが、逆に週一回は実家に泊まるようになり、逆にしっかりとコミュニケーションできています。孫に逢えなくなったのもありますが、近くに住んでいても頻繁には会わないですしね。元々社内はフラットな組織にしようという流れがあったのですが、移住をきっかけに社長と呼ばれていたのを名前で呼んでもらう風に変えました。

実は父が信州出身なんです。彼はようやく苦労して東京に出て来たのに、なんでまた田舎の長野に戻るの?という反応はありました。

仙石:それではいよいよ。大日向小学校への入学を決められるまでの経緯を教えてもらえますか。
藤森さん:東日本大震災に遡ります。震災後、石巻の支援活動仮設住宅にいる子供達の放課後活動のボランティアをしていた時期があります。その活動を指揮されていたのがプロジェクト結というNPOでした。そこで繋がりができていた大日向小学校の理事でもある中川綾さんを含むNPOの代表のお二人が、何やら長野で学校造るらしいぞ、と。Facebookで上がってくる活動レポートを見ながらこれは面白そうだと思いました。最初は移住計画も全くなかったんですが、面白半分に疑似体験をしはじめたんです。学校を見学に行ってみたり、Airbnbで学校の近くの宿に住んでみたり。
仙石:それはすごい!そんな始まりだったんですね!
藤森さん:自分自身は、国立の小中高に通っていたので、私立のお受験は考えていませんでしたが、国立は受けさせてみようという気はありました。そこで塾に行ってみた所、そこで子供が選ばれるということにものすごい違和感を覚えました。受かるにはこうあるべき、みたいな熟や圧力がすごくて。そんな中、9月に改めて大日向小学校にキャンプがてら見学に行ったんですが、たまたま当時某有名食品メーカーに勤めていた方が一日限りのカレー屋さんをやっていたんです。聞くと、その人も大日向小学校がきっかけで会社を辞め、家族で起業するという。引っ越し後は週4日だけカレー屋を経営してやっていけるかを試そうと思うと。すごい衝撃でした。まさかそんな優良企業で働いている人が辞めるなんて思ってなかったですから。彼が移住できるなら、どんな人だって移住できるよね。そしたら楽しくなってきちゃって。そしたら、試しにと受けていた大日向小学校から12月に合格の知らせがきたんです。そこで移住を決断しました。

仙石:すごいストーリーですね!だけどそうは言っても、移住はすごく大きな決断だったと思うのですが、改めて教育移住を決心したポイントは何だったと思いますか。
藤森さん:正直、どんな学校なのかっていうのは入るまでよく分かってませんでした。だけど、家族との時間を大事にしたいというのはすごくあったし、学校を立ち上げられた綾さんが元々知り合いで、彼らが震災後に造り上げたコミュニティー作りをとても好意的に思っていて、彼らがやるならっていうのが一番大きかったと思います。まだ未完成な学校ではありました。だけど、彼らはあの何もない石巻の状況で、ダメでも何とかする人たちだったんです。学校だって、これから何か起こるかもしれない。だけど、彼らならきっと何とかするよなって思えました。

教育移住を生むには、コミュニティー造りが大きなポイントでありそうですね。

さて後半「実際に移住してからの生活と、メッセージ」に続きます!


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