和歌山に学校を造る。

8月3日の朝、降りてきた言葉。「和歌山に学校を造る。」その瞬間に自分の中のパズルがパチっパチっと音を立ててはまっていき、涙が止まらなくなって身体が震えだした。やばい。今すごいことを思いついてしまった。でも。。いや、ちょっと落ち着こう。2,3時間ほど妄想の世界に浸る。なんだか笑いも出てくる。「自分A:今学校造るって言ったよね。私気がくるってるかも。学校?!そんなん作れんの?できへんやろ!自分B:いや、でも実際作った人いるから色んな学校があるわけやし。自分A:資金は?自分B:ないけどいつも、大きなビジョンがあるところにはお金が集まるって思ってるよね。じゃあ大丈夫じゃない?」自問自答の繰り返し。学校を造るとなったらこれが必要でこうなって、つまり引っ越しもするわけで、夫の仕事は?とか色々考えるけど、とりあえず、学校を造る=自分の欲望や感じてきた問題の全てが解決する。という方程式に導かれてしまう。よし!ととりあえず、夫に話してみることにした。

夫に全てを説明した。説明しながらも涙が出てきた。説明が終わると、彼も少し涙ぐみながら即座にこう言った。「学校?いいんじゃない?応援するよ。」「でも和歌山に引っ越すことになるよ?いいの?(今東京在住で、夫の仕事場は東京、私は和歌山と東京に拠点がある。)」「いいよ。僕はサラリーマンだから。何とでもなる。今の仕事が続けられなかったら職を変えればいいし。そもそも自分の人生を見直すにも良いきっかけかも。」「!!!!!!ありがとう!!!!!」感動と感謝で再度涙が溢れ出て止まらない。幸せで胸がいっぱいになった。この人と結婚してよかった。ほんとにわたしは幸せ者だ。

そもそもこの「学校を造る」という言葉が下りるきっかけになったのは、新型コロナをきっかけに立ち上がった、社会事業プロデューサーの秋間早苗さんのオンラインライブの一環で、カンボジアで女性支援のための活動をされている女性社会起業家の温和和佳奈さんをゲストに行われた1週間のライブトークをたまたま視聴したことだった。魂のスピーチをきっかけに全てを実現してしまったという和佳奈さんの言葉の端々や、彼女の存在そのものに圧倒され、やっぱりワインの仕事だけでは死ねないな、と思ったのだ。そして自問自答が始まる。そう、私が20歳の時からずっと気になる場所は和歌山の雑賀崎、和歌浦。ふとした時にあの場所が頭によぎり、何かあそこでしたいと思ってる。老後かな、なんて。なぜなら、今和歌山に移住しても今2歳の息子を入れたい学校が和歌山にはない。その瞬間に、天からおりてきたのだ。「そうや、私が雑賀崎、和歌浦に学校を造ったらいい!」

8月3日からの最初の1か月は、まず自分と向き合う時間を過ごした。そして早1か月経った今。確実に、既に学校設立の当事者になっている自分がいる。あれだけ早起きをしたくてずっとできなかった私が、毎朝ほぼ5時頃には起き、学校設立のために本を読みまくり、堪らなくなって既に周りの友人にこの想いを伝え始めている。

そう、プロジェクトは既に始まっている。

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