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「未来を変えた島の学校」を読んで

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未来を変えた島の学校――隠岐島前発 ふるさと再興への挑戦
山内 道雄 (著), 岩本 悠 (著), 田中 輝美 (著) 岩波書店

隠岐島前高等学校に関連する記事を、何年も前に目にしたことがあった。島の学校、としか記憶していなかったが、島の学校には設備や先生も少ないから、学校を超えて村の中で学んでいく。というようなことを書いていたのがとても印象的で、刺激を受けたと同時にこんな学校に行きたかったなぁという想いになったのを覚えている。
学校を造ろう!と思い立った時に真っ先にこの学校のことを思い浮かべ、名前を突き止めこの本を購入。早速読んでみた。
すごく時間が掛かり、ご苦労されたことが伝わったと同時に、私が学校造りを通してやってみたいと思っていた学校から始まる町おこしや、観光と繋げたプロジェクト学生が別の街から集まり、移住者が出る状況を造りたい、ということを既に体現されており、「私が思ったことは既に実現している学校があるのか!」という発見と同時に、既に実現された事例があるということにとても勇気づけられた。自分の学校を説明する時にこうした前例があると、間違いなく納得してもらいやすくなるだろう。近いうちに実際に島を訪れてみたい。ほかにも印象に残ったことをメモ。

1.島の人が自分達の魅力に気づいていなかった過去
和歌山と一緒だ。狭い世界で生きていると、教育されない限り客観的にまた俯瞰的にその世界を把握するのは難しい。日本の田舎の様々な所で起きている現状だと思う。私も含め、外に出て初めてその価値や魅力に気づくことが多いが、隠岐島前高等学校ではまずは岩本さんという外部者が島に入り、最終的に学生がその狭い世界に第三者として移り住み混ざり合うことで、島に居ながらにして融合が実現し、そして価値や魅了が見直され、島が輝き復興してきている。

しかしここでもう一つ思ったことは、イタリアの田舎の場合だ。人口数百人の小さな村に住む彼らは、村から出たこともないのに自分達の魅力をよく理解し、世界中の人が訪れたり、世界を魅了するモノを産み出す人々がいる。もうその文化的なレベルの高さと彼らが送る素敵な生活には日本から行けば誰もが感服してしまう。みんなお洒落だし、最高の料理を食べて暮らしている。理由を考えた時に思うのは、そもそものイタリア人の自己肯定力の強さだ。その延長で、自分達の村を肯定することが生まれる。更には、家族から、もしくは学校で自分達の街の歴史や文化をしっかりと学んでいることが大きく影響しているように思う。

とにかく隠岐島前の場合も、学校が変わっていくにつれて地元の学生たちの自己肯定力が上がってきた様子が印象的だった。

2.公の組織で中から革命を起こすことの難しさ
著者の一人である岩本さんに同情してしまうようなご苦労話が沢山書かれているが、もうこれは今回の菅内閣の発足の様子を見ていても、日本の文化というか、成り立ちからして今ある公の組織を改革するのは一気に行かないのだなーということを痛感した。そもそも日本は島国で、今まで一度も外の国からの侵略を受けずに来ているのだ。ヨーロッパのように国と国が戦争を繰り返し、領土がそのたびに変化し、今の形に収まったような文化、もしくはアメリカや南米のようにそもそも外から移民として映り渡ったり、もしくは強制的に侵略され形成された国々とでは、国民性が全く違う。ただ、日本人や特に田舎の人たちが保守的であることは悪いことだけではもちろんないのだが、ここでも繰り返しになるが、自己肯定力、自分達の住む場所を肯定する力が無いと、人だけがどんどん流出してしまう。イタリアは、小さな村から若者が出ても、人口減少のカーブは見ていて非常に緩やかだ。なぜなら若者は皆、早い段階で最終的に自分の故郷に帰ってくるのだ。(そもそも毎週末帰ってくるのだが笑)
しかし、隠岐島前高等学校の地道な取り組みが国を動かし、標準法という国の法律をも変え、先生を3割も増やされた。

3.高度成長社会から持続可能社会へという視点からの教育改革
2003年の国際サミットで国連が掲げた持続可能社会SDGsをもはや聞かない日はないが、改めて地球全般としてこのキーワードが日本単体や隠岐島を含む日本の一地方だけを見た時にすら当てはまる考え方であることが更に納得できた。高度成長社会、工業化社会の概念に変わり、今は持続可能社会、情報社会であるという前提認識を造る上で、教育が担う所は限りなく大きい。特に地方においてはなおさらだ。この考え方がきっと日本の地方も救う。

他にも具体的な取り組みが発案から実行段階まで細部に渡って書かれていて、教育関係者だけに関わらず今の状況を変えたい、町おこしをしたいなど、様々な人に刺激とヒントをくれる一冊。ぜひおススメしたい。



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