見出し画像

絶対に怪しい徳島県w

BIで分析してみました。

奈良県は、そもそも都だったから、渡来豪族子孫だらけなので、渡来度、弥生度がもともと高いのです。皇室の子孫もいるし。


滋賀も一時期都だったし、豪族の別荘とかあっただろうから、そのままお手付きの子供とかいて、子孫増えていた可能性もあるのです。
なので縦軸で真ん中あたりです。

しかし、香川県は右端で渡来人度そこまで高くない(ただ関西なので縄文人度高いわけでもない)です。都になったこともないので、右下です。

ところが、徳島がなぜか、都並に渡来人度が高いんだよなあ。

阿波風土記に、こういうのがある。(私のてきとーな読み下し文だwww)
「空より下りたる山の大きなるは、阿波国に降り下りたるを天の元山と云い、その山のくだけて、大和国に降りつ来るを、天の香具山というとなん申す。」

これだとでかいほうが阿波国に落ちて、くだけて小さいのが奈良県に落ちたってことなんだが、人の移動を意味するのかどうか?

徳島→奈良 移民
奈良→徳島 移民
どっちなんだかなあ????
(ちなみに歴史的に、韓国→日本 っていっていたのが、実は日本→韓国 っていうのは、古墳とかがそうだwww だから思い違いで逆転があるのだ。)

歴史的事実をいうと、奈良から忌部氏とかが徳島に移住しているのだ。皇室の命令だ。当然一族郎党セットで何十人かは移住するから、渡来系がここで増えるに決まっているのだ。

でも、人の移動は古代だけじゃなくて、戦国、江戸時代にもあるのだ。
というのは、国替えがあるのだ。

徳島の殿さまが誰かというと、蜂須賀氏なのだ。
じゃあ、蜂須賀氏はどこから来たのか?
「新井白石が作成した『藩翰譜』(または『寛政重修諸家譜』)の中から作成された系譜の『蜂須賀氏系図』によると、下野源氏(足利氏)の足利泰氏、もしくは斯波氏の裔を自称する。しかし、多くの史家がこれを疑問を抱いており、蜂須賀氏の出自に関しての確証は未だにない[注釈 2]。

『蜂須賀家記』考異によると、正勝はもともと藤原姓を称しており、松平氏が藤原姓から源姓に改めたのに従って、忠英の代になって源姓に改めたとしている[2]。また伝承として、上野源氏(新田氏)一門の里見氏流鳥山氏の支族の肥後蜂須賀氏の当主の正家(能祐の孫)の娘(斯波氏に嫁いだ)の子の正秋の後裔で、尾張国中村に移住したとも伝わる。」

まあ、はっきりしないが、どっちにしろ藤原氏であっても、上野源氏であっても、渡来系だ。

というわけで、蜂須賀氏とその家臣団が、藤原や源氏だとするとまるっきり京都の御公家さんの子孫なので、ぜんぜん渡来氏度が濃くてOKなのだ。

さて、困ったときは名字由来Netだwww
→名字で先祖がだいたいわかるのだ。

徳島県に多い苗字を探してみるのだ。


こんなん、ほとんど天皇子孫源氏とか、藤原、蘇我とかの豪族ばっかじゃんか。
疲れたので、上のほう5個くらいで挫折www
20位の三木家は、忌部氏のおうちだ。由緒正しい名家だ。

というわけで、別に徳島県で渡来人子孫が多くても、普通なのだ。
こんなに何度も、奈良県や京都、あと関東武士だけど源氏で天皇の子孫たちが、徳島に入国して定住してるんだから、当然ってものだ。

まあ、あとは戦国大名と江戸時代大名の出自をもうちょっと調べたほうがいいかなーって思うので、それの相関は全国で取ってみたい。
→面倒くさすぎて死ぬwwwwwwwwwww

東北もなー、藤原氏が入っているから、縄文度高いっていってもそこまで猛烈に高くないと思うけどなあ・・・。

まあ、暇なときに研究しますわ。

ちなみに、同じ四国でも縄文人度やや高めの香川県の多い姓。


あ、真鍋とかあるじゃん!
これは、讃岐の土着豪族だから、縄文人系かもしれない。
香川さんも県と同じ名前だから、土着系と豪族子孫かどっちかだなあ。
石川さんは、蘇我の子孫だ。まあ、これはどこにでもいる。


まあ、朱があるから、大和朝廷が部下を送って、権益握らせたんじゃないの?
いやー、抜け目がないなあwwww →まあ、自分も子孫だがwww
ご先祖様、どうもありがとう。今日もご飯がおいしいな!!
(ちなみに今日のご飯は、ベーコンとキノコのカレーだったw おやつはこんにゃくゼリーとチョコレートとパイナップルだ。牛乳も飲んだ! 健康的だなwww)




AI,脳科学、生物学、心理学など幅広く研究しております。 貴重なサポートは、文献の購入などにあてさせていただきます。 これからも、科学的事実を皆様に役立つようにシェアしていきたいと思います。 ありがとうございます!!