マガジンのカバー画像

おおざっぱなコラム まとめ~考古学編~

373
考古学に関する自筆コンテンツと関連コンテンツをまとめました。 お楽しみください。
運営しているクリエイター

#卑弥呼

邪馬台国研究: 卑弥呼の鏡をもらった下級首長はいるかどうか?

この人は、九州の高価な出土品だけを集めてリストにしている。 大変面白い。 私が見る限り、弥生時代は、伊都国、奴国、せいぜい宇美国とかだ。 卑弥呼は188-247年または248年の人なので、だいたい活動時期は3世紀前半だ。後継者の台与を3世紀後半と考えて、じゃあ、卑弥呼の鏡が出ているというか、部下に中国鏡をばらまいていたら、1,2枚ずつもらっていて、かつ地域はわりと密集しているはずなのだ。 (大和王権の鏡配布システムだと、だいたい放射状に配られていて、下級首長が鏡をもらってい

邪馬台国問題 遺跡ない。神社はもちろんない。伝承地もない。

プレ皇室研究をしていますが、この場合は、 ① 遺跡、古墳 まず探す。皇室の先祖っぽいものが出土する。 ② その近くに、伝承があると望ましい。 ③ 文献で確認する。 ④ 神社は、プレ皇室の場合は重要。 の4つをまず探します。 インチキだと、インチキ伝承+インチキな神社などがあります。 たまに、別の人の古墳をでっちあげます。 それで考えると、卑弥呼の井戸とか、卑弥呼の腰掛松とかないwww → 神功皇后とか、適当な要人だと、「ここに立ち寄りました」とかいうのがあったりする。神社

ああー! もう卑弥呼の墓、すでに古代で破壊されていたかも!?

私の第一候補は、邪馬台国四国山上説です。第二は、大分県のどこか説です。 とりあえず、四国の山腹に集落があったり、古墳があるのをあてに探すのがいいのかなと思っていましたが、なんと、100基もあるような古墳群が、もっと前に破壊されていたのだそうです。 ちなみに破壊された時期は、戦国時代らしいので、それは大和朝廷の威信がどーのというよりは、「人口増えたし、侍の新田開発で、小さい古墳とかはさっさと壊して、田畑にするでー」ってことかなと思います。 ただ、卑弥呼の墓はたぶん、30m

邪馬台国研究: 卑弥呼の前半生

卑弥呼は、邪馬台国の女王で、中国側が知ったときには、もうおばちゃんでありました。 独身で、弟が外向けの仕事や世話はしてくれて、侍女や部下が1000人で召使をしてくれて、死ぬときには100余人が一緒に殉死しました。 さて、在位を見ると 188年頃〜248年 とありまず。 2世紀終わりから、3世紀だいたい半ばまでです。 このときにはすでに神武天皇は東征していて、畿内に拠点を置いています。一応、今の奈良県橿原市です。 なんか、よく「邪馬台国が、大和朝廷になったんだー」みたいな

神功皇后=卑弥呼なんて、ぜんぜん嘘じゃん! →時代が100年以上違った件

世の中、天皇の系図はわかっているし、お墓とかの比定も、まあ、宮内庁が隠しているのだが、それでも周辺情報でわかったりする。 さて、すぐ 神功皇后=卑弥呼 っていう人がおるのだが、時代を確認してみました。 まず、神功皇后の夫は、 第14代天皇・仲哀天皇です。 だいたい同じ年齢と思います。かりに年上年下でも、50歳も上下することはありません。 そして、仲哀天皇は、 「実在したとすれば後述の広開土王碑文、三国史記や七支刀に加えて纒向遺跡の廃絶年代、陵墓の年代などからも総合して4世

歴史的日食がわかるサイト

これはありがたいです。 自分で計算しないでもいいです。 これ、紀元前300年くらいが神武天皇即位で、そこから400年前・・・うーん、6代くらいしかないから、150年くらいだから、だめだなあ。 天照の岩戸隠れじゃないなあ。もうちょっとちょうどいいのがないのか? これは北海道とかしか見えないなあ。 日本は見えないんだろうなあ。 三千年間でナンバー3の金環日食 これ、168年だから、うーんうーん・・・天照大神の岩戸隠れにしては、ちょっと遅いなあ。倭国大乱じゃん。 そのとき

八倉比賣神社の遺跡は天照大神でも、卑弥呼の墓でもない。

おおー、この人の解説、面白いーーー!! ※ リンクしておいた動画が次々と消えています。たぶん内容が間違っているので取り下げたのか、うそばかりの動画チャンネルでBANされたのかもです。とりあえず、すごい消されたのが多いということでそのままにしておきます。 めずらしくほとんど書かれてない。えー。 「由緒は不詳だが、平安時代の『延喜式』神名帳の美馬郡条にある[倭大国玉神大国敷神社二座]に比定される古社で、大国魂命・大己貴命を主祭神とする。その御神像は、高さ一尺ほどの剣を杖きて立

この邪馬台国本 面白かった。

九州説だというのと、卑弥呼=神功皇后で主張しているから、まちがってると思うが、科学的論理展開の説明で、ああ、それはそうだなというのがたくさんあって、勉強になった。 神功皇后は、夫がいて(天皇の妻だから、皇后なんだがwww)、子供もいる。 でも卑弥呼は、夫も子供もいない。弟だけが世話している。 これだけでもだいぶ違うのに、いきなり、 卑弥呼=神功皇后はない。 でも、「刺青は中国では、犯罪者の印」っていうので、おおー、日本の江戸時代とか、皇室一般と同じじゃんって思いましたわ。

古代四国が怪しすぎる・・・なんでやねん?

ここに、四国で面白い遺跡や神社をどんどこ集めているのですが、よく考えたら、めちゃおかしい!! (1) ニニギノミコトは、九州に降りてきた(海外からやって来た)。 「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、日本神話の神[1]。地神五代の3代目。日向三代の初代。神武天皇の曾祖父。 高皇産霊尊の意により葦原中国の主として天降(あまくだ)り、日向国の襲[3][4]の高千穂峰へ至った(『古事記』では高木神の命をうけた天照大御神の神勅[5])。さらに国を探し求めて吾田長屋笠狭岬へと至り、そこで大