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Something New

大学時代のゼミの教授がいっていたことで、いちばん印象に残っている言葉だ。

「Something New」

新たなことを日々みつけること。

学びつづけるということ。

これはつくづく最近、素敵な言葉だと思うし、こういった姿勢を忘れていたように思える。このコロナ禍がもたらしたのは、日々の新しさへの挑戦でもある。

近頃、社内で「ニューノーマル」という言葉を耳にする。

山口周さんの著書の受け売りだろうが、(私は読みはしていないが、なんだか予言めいた著書のタイトルだけ取れば)確かに近年これほどに人類が変化を強いられるような出来事はなかったと思うし、「普通の定義」が変わるのは当然のように思える。

入社1・2年目や6年目くらいまでは新たなことの連続であったが、それ以降は習慣化されたことを繰り返してきたように思える。

新たな事が促されるのは、自己否定が出てくる時かもしれない。

「このままではいけない」「どうにかせねば」

まさに今の私はそんな渦中にいるのかもしれない。

私だけでなく、誰もがそうなのかもしれないが。

コロナ禍以降、私(私たち)は、耐えがたい孤独感に苛まれた。

在宅勤務する人が増えた。コミュニケーションがリアルからデジタルへと急速に移行した。その波についていけず、アナログな私は袋小路に迷い込んだ。

もともとデジタルが強くなかった。

だが、必要に迫られて、格安SIMから大手の携帯会社に出戻りし、iPhoneを最新機種に変えた。

会社を辞めた同期に教えてもらい、PS3を買って、オンラインのバトルロワイヤルゲームを始めた。

「いまは会って遊ぶんじゃなくて、こうやってヘッドセットして、遠くの人ともツイッターでつながって遊ぶんだよ」

体験してみて、まさに青天の霹靂であった。

こんなにも自分が時代に取り残されていたのか、と、ここ5年から10年くらいの自分の停滞を感じることでもあった。

そして、社内も変革が行われ、新たな給与制度が生まれ、デジタルが急速に叫ばれるようになった。

うちの会社は旧来の日本的組織だったが、新たな給与体系では成果主義に近しいものが導入され、経営層も新しさを社員に求める発言をしだした。

役員連は、動画で在宅ワークの様子などを配信するなど、よそよそしさのあるデジタルアピールをし、ノアの方舟からこぼれまいといった風情だ。誰もがいままでのことを忘れ、新しいっぽいことに縋り、経営陣は社長の右向け右をすぐにしだした。

そして僕はMacBooKを買った。

動機は、社内で出世を追ったり取り入ったりしていく先にある成果に限界を感じるからというのもある。部下の手柄は上司のものであり、上司の責任は部下に押し付けるようなこの組織の構造は、いくら制度が変わっても変わらないものだろう。

むしろ、人を蹴落としていくような現象がさらに増えていくように思える。

限られたパイを奪いあうということには、もう本当に疲れた。それで人間性を失っていくことにも、嫌気がさしてたまらない。

僕は自分の副業をつくり、会社の比率を頭の中で何割か個人にシフトしていきたいと考えている。夢はこんなクソみたいな会社からオサラバできるような収入を得て、自由に縛られることなく働いていくことだ。

そして、個人として正当に評価されたい。

人を評価することを経験して思ったことは、人が人を評価するほど難しくて曖昧なことはないということだ。会社は定量から定性と言っている。が、定性ほどいい加減で曖昧なものはない。定量や数こそ、不公平が少ないように思えるが、会社はその定性という曖昧なものに評価をシフトしてきた。

つまり、ひとことで言えば、いい子ちゃんかどうか。

好きか、嫌いか、といったとこだろう。が、これも会社の詭弁で、全体的な給与の財源を削減していくことの一環なんだろう。直接的に言わないところも、会社のズルいところである。定性だと言えば、いくらでもなんとでも理由づけなどできる。

で、話を元に戻すが、そうは言っても新しいことに日々取り組んだり、発見が増えたりすることはヒトを疲れさせもするが活性化することでもあり、経験が増えるという意味ではいいことだと思う。建設的に成長していければ、いままで出来なかったことや考えつかなかったことを考えられる、つまり思考のレベルも上がるようになる。

きょう、仕事で地方新聞社の支店の編集長とお話する機会があった。

伺っていると、「新しいことがニュースになるんですよ」「それはヒトが新聞が取り上げるほどのものと思ってないような些細なことでもある」と何気なく言っていたことに、非常に共感した。

みんな新しいことを探しているし、自分もそうだ。ただ、行動するとなると話は別だが、常に新しいことを追いかけているヒトは生き生きしていて、いい。

「Something New」

忘れかけていた感覚だ。ひとは継続や習慣の中に怠惰していき、その極地までいくと脳が働かなくなって心身に不調をきたすのかもしれない。

アウトプットすることを通して、日々の新たなことを発見したり行動経験するアンテナを失わない生活を続けたい。

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