Sentenceから作品をつくること。


——なるほど、あの娘は美しい。
――しかし、美しいと思うのはお前の目なのだよ。

              クセノフォン

『21歳の葛藤』を書き上げる4年前、僕は人生で初めての作品を書いた。

2013年。
僕がまだ高校3年生だった時のことだ。

苦しみにも似た、言語化できないほどの創造欲求に駆られた僕は、父の持っていたMacのキーボードを叩き続けた。
小説の書き方なんて何も知らなかったから、すべてが見様見真似からのスタートだった。

ただ、当時も今も僕の執筆スタイルは変わっていない。
書きたいストーリーがあるのではなく、表現したい一言のために書くのだ。

僕が人生で初めて書いた作品―—『黒い月』
この作品は冒頭のクセノフォンの言葉を使いたいがために書いた作品だ。

遥か昔、紀元前の時代。
クセノフォンは、古代ギリシア・アテナの軍人であり哲学者でもあった。
あの有名なアリストテレスの弟子だったとも言われている。

彼がどのような経緯で、冒頭の言葉を言ったのかは分からない。
だけど、僕はこれを見た瞬間に、どうしてか心を惹かれてしまった。

この言葉を使って作品を書けないだろうか。
この言葉にはどんな意味が込められているのだろう。

―—ある日、僕はこんなことを思った。

太陽は美しい。
圧倒的な力で自ら輝き、自らで美しさを表現している。
太陽は常に光り輝き、万人がそれを美しいと表現するだろう。

だが一方で月はどうだろうか。
月は果たして常に美しいと言えるだろうか。
確かに夜の月は黄金に光り輝き、一人暗い世界を照らしている。
しかし、昼間の月を美しいと表現する人間はいない。
月は昼間も空に浮かんでいるのに、そこに月があると認識する人も多くはないだろう。

月は、太陽があり、そのときが夜であることで初めて、自身の美しさを表現できる。そう考えると、なんだか、とても特殊な美しさだと僕は思った。

もしも、月のように美しい女性がいるならば、きっとその人は誰よりも『黒』が似合う人なのだ。そして、人はその美しさを、まるで月のように常に享受することはできないのだ、と。

この何気ない考察とクセノフォンの言葉が僕の中で繋がって、『黒い月』は生まれた。


僕はこの経験から、作品をつくるというのは、自分の考えを人よりも掘り下げて考える行為だということを学んだ。また、小説は一つのSentenceからでも書き上げることが可能であることも知った。

僕が高校生の時に書いた作品なので、言い回しにムラがあったりするが、それも含めて僕は『黒い月』を気に入っている。

次はどんな小説を書こうか。

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