左利きの女性マスター

先日、久しぶりに和歌山に行った。

4年間の大学時代を過ごした和歌山は、もはや第2の故郷だ。

阪急で大阪方面に向かい、天下茶屋で南海電車に乗り換える。
当時から何度も往復した道のりだ。

片道2時間という長い時間も、なんの変哲もない車窓からの風景も、
過ぎ去った青春時代のカケラがまだそこに残っているようで、
今でも少しだけ胸がくすぐられる。

京都方面へも、和歌山方面へも
何かしら目的を持って電車に乗っていたのだ。

その目的は一体なんだっただろうか。


南海電車に揺られていると、終点の和歌山市駅に到着した。

和歌山市駅は現在再開発をしているようで、
大学時代の様子とは少し様子が違っていた。
駅のあちこちに工事のネットが張られている。

コロナの影響で、駅前にはほとんど人通りがなかった。
和歌山でもかなり大きい駅なのに、昼間からガラガラだととても寂しく感じる。

僕は誰とすれ違うわけでもなく、南東に向かってただ歩いた。

何か目的の場所があるわけではない。
ただ、昔のバイト先が向こうにあったので、久しぶりに歩いてみようと思っただけだ。

ちなみに、かつてのバイト先『そら豆』はすでに閉店している。

店長とカフェオレを飲むために出勤していたあの頃が懐かしい。
あのカフェオレのためなら、バイトは苦痛ではなかった。

10分程歩くと、本町に到着した。

相変わらず人通りは少なく、どの飲食店も閑古鳥が鳴いている。

僕は辺りをふらふらしていると、懐かしい店を見つけた。

『ぼへみあん』だ。

僕は当時、そら豆の出勤前にこの店に入り浸っていた。

大学の課題とか、小説の執筆とか。
バイト前の1時間で、コーヒーとタバコを片手に作業していた。

僕は迷わず『ぼへみあん』の扉をくぐった。

カランコロン、と心地よい音が鳴る。
卒業以来『ぼへみあん』に来るのは初めてだ。

僕はカウンターの端っこの席に着いた。
店内は改装したようで、当時よりもすっきりした印象だった。

僕がメニュー表を眺めていると
「お久しぶりですね」
と、声をかけられた。

その声の主は「ぼへみあん」の女性マスターだった。

「お、お久しぶりです」
と、慌てて返事をしたが、僕は内心かなり驚いてた。

だって、僕が最後に店に来てから、すでに3~4年は経っているのだ。
ただの大学生のことなんて普通は覚えていない。

女性マスターは当時と全く変わっていなかった。
黒髪でショートカット。おそらく40代だろうが、見た目は若く見える。
静かな口調の、とても綺麗な方だ。

彼女はサイフォンのコーヒーを注ぎながら言った。

「今日は小説は書かないんですか?」
「覚えていてくれたんですね」
「それはもちろん。とても熱心に書かれていたので」
「当時ここで書いていた小説が自分にとって最高傑作なんです。だから、大学を卒業以来書いていません」
「そうなんですね。」

僕はアメリカンコーヒーを注文した。

「今も和歌山に住んでいるんですか?」
と、彼女は訊いた。

「いえ、今は京都の実家に住んでいます。
今日はたまたま和歌山に遊びに来ました」

「そうなんですね。」

彼女は微笑みながらそう言った。

僕と女性マスターは、互いにそれ以上多くは語らなかった。

でも、それでいいんだ。

昔はどうだったとか、今は何をしているだとか
そんなことを多く語りすぎる必要はない。

僕はただ、この喫茶店で当時と同じアメリカンコーヒーを飲み、
女性マスターは焼けた食パンを包丁で斜めに切る。

彼女は左利きで、食パンの切り方がとても美しく印象的だ。

僕は1人、その様子を見ながら、思い出に耽っていれるなら、それでいい。


しばらくの間、僕は不思議な気持ちで小説を読んでいた。

当時、何か特別なことがあったわけではないけれど、
ここはとても温かい思い出の場所になっていた。

『ぼへみあん』で飲むアメリカンコーヒーは、
世界で一番美味しいと、僕はそう思う。

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