12歳の決意と親父の言葉。そしてそれが3年後の未来を決めた。
『強くなりたい』
ただ毎日これだけを思い続けた時期が彼にはあった。
小学6年生。12歳の時だ。
彼は小学3年生から、地元の野球チームに入っていたが、公式戦でも練習試合でも勝てた記憶はほとんどない。
何故勝てなかったのか?
「きっと、彼は勝ち方を知らず、勝つことにも慣れていなかったのだろう」と、24歳の大人になった僕は思う。
負ける度に、また一つ負けることに慣れてしまう。
強いチームは何を考えながら野球をやっているのか。小学生のうちにその答えを知ることはなかった。
季節は秋。
学校で中学校進学の話が出てきた。
義務教育だから絶対に進学しなければならない。
それは全員にとって当たり前の事実だった。
勿論、彼もそうだと思っていた。
彼の住む地域には4つの中学校があり、
基本的には1番近いA中学に進学するのが普通だった。
私立受験組を除けば、クラスのみんな、A中学に進学するつもりだから、「中学では何部に入る?」なんて話をして浮かれていた。
そんな中、彼は1人、先生から配られたパンフレットをずっと食い入るように見ていた。
彼が周りの会話に参加せず、あまりにずっとパンフレットを見ているものだから、隣の席の女の子が不思議に思って声をかけてきた。
「さっきからずっとパンフレットを見てるけど、どうかしたの?」
彼は彼女の方には顔を向けずに、答えた。
「おれ、A中じゃなくてB中に行こうと思う」
「....え!? なんでなんで??」
彼女はとても驚いた様子だった。だけど彼があまりにも淡々と答えるものだから、すぐに声のトーンを落として色々と質問してきた。
「なんでA中行かないの?」
「おれ野球で強くなりたいんだ」
「A中にも野球部はあるじゃん」
「近所のA中に行ってる兄ちゃんに聞いたら、あそこの野球部は万年弱小チームで、大会でも一回戦突破できれば良い方みたい。だけどB中はいつも地方予選を突破して、京都府大会に出てるんだって」
「やっぱ強いチームで野球しないとさ」
と、彼は答えた。
彼女は「そういうものなのかな」といった様子で、それ以上は何も追求してこなかった。
12歳で人とは違う大きな選択をするのは怖くもあったが
それでも「野球で強くなりたい」という思いが、彼の中でとても大きすぎた。頭の中にはもはやそれしかなかった。
その夜、パンフレットを持って両親にB中に進学したいという思いを伝えた。
野球のためなら親も認めてくれるだろう、という考えが彼にはあった。
しかし、両親からは
「B中は家から少し遠い。絶対に通うのがツラくなる。A中で野球をやりなさい」
あっさりと否定されてしまい、B中への進学の話は終わってしまった。
あまりにも妥当な意見に対して、彼は何も反論することができなかった。
どうしよう。と彼は思う。
親には否定されてしまったが、それでも野球で強くなりたい、という思いが消えてしまったわけではない。
どうすれば認めてもらえるのか。
一晩考えた結果、彼は毎朝B中までランニングをすることにした。
体力をつけたいわけではない。
自分の気持ちはこんなにあるんだ!
少し遠くても、野球のためなら通うことができる!
ということを、きちんと自分の力で証明したかった。
彼は長距離走が苦手だ。
だけど、何故だか走れる気しかしなかった。
今の自分にできることはこれくらいしかないのだから、
とにかくやるんだ!と、アツい何かに突き動かされていた。
翌朝、6時にセットしたアラームが鳴り、
彼は勢いよく飛び起き、ジャージに着替えてすぐに外に出た。
11月もすでに終わろうとしていた。
冬のように空気は澄んでいて、吐息は白く宙を舞った。
近所にあるA中とは真逆の方向にあるB中に向かって彼は走る。
距離にして3~4㎞。
長距離が苦手な彼にとって、それは決して楽なことではなかったが、
「B中に行きたい」という思いだけが自分を突き動かした。
町はまだ静けさに包まれている。
時折すれ違う車と、自分の足音しか聞こえない。
息を切らしながら、それでも足を止めずに
最後のB中前にある心臓破りの坂に突入した。
平均勾配20%の急斜面。それが100m近く続く。
少しでも気を緩めると自分に負け、足を止めそうになる。
それでも、ゆっくりでも一歩ずつ前に進み、
彼は坂を上り切った。
限界まで体力を絞り出し、乱れた息を整えながら膝から手を離す。
坂の上にあるB中から見る景色は、とても、とても綺麗だった。
何か特別な景色があるわけではない。
地元の街並みがそこに広がっているだけだ。
だけど彼にとって、それはこれから毎日見たい景色だった。
自分がこの中学に通って野球をしているイメージを心の中に描いてみる。
『おれはここで野球をするんだ』
朝陽と共に、その思いは鮮明に、彼の中で意志として固まった。
それから2か月間、彼は毎朝走り続けた。
来る日も来る日も走り続けた。
B中に行きたい、という気持ちがブレることはなかった。
そんなある日、風呂に入っているといきなり親父が入ってきた。
「いきなりなに??」
「まあ、たまには風呂で話でもしよう」
頭と体を洗い、狭い浴槽に親子で浸かった。
しばらくの沈黙の後、親父が話始める。
「今でもB中に行きたいか?」
「そりゃ行きたいよ」
「毎朝B中まで走ってたもんな」
「うん」
いまいち親父が何を言いたいのか分からないまま
彼は親父の表情を伺いながら、次の言葉を待った。
しばらくの間をとって、親父は彼にこう言った。
「B中に行きたいのか、野球で強くなりたいのか。お前はどっちなんだ?」
その言葉に彼はハッとする。
B中に行けば、勝手に強くなれると心のどこかで思い込んでいた。
いつの間にかB中に行くことが目的になっていたのだ。
そして親父は続ける。
「A中で強くなれ。お前がA中を強くしろ」
毎朝努力できたお前なら、きっとできる。
親父はそれだけ言い残して、風呂を上がった。
残された彼は風呂で一人、考えた。
親父のメッセージが真っすぐに心に刺さっていた。
B中じゃなくても、A中で強くなるために努力すれば、きっと自分は強くなれる。
むしろ弱いチームを自分の力で強くする方が本物だ。
最後に一つ、深呼吸をする。
親父の言葉を胸に、彼はA中に進学することを決めた。
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3年後、彼はレギュラーを勝ち取り、チームは京都№1の栄光を手にすることとなる。
各小学校から上手いやつが9人集まり、2009年の夏から2010年の夏まで、
京都で無双し続けたという、そんな漫画みたいな話は実在する。
この1年間の物語は、また別の機会に語るとしよう。
今回の追憶はここまでだ。
24歳になった今も、あの時の親父の言葉は心の中に残っている。
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