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フットボールは芸術か?後編

初めに

本稿は後編とあるように、前編からの続きになってます。
興味がある方はこちらから読んでみてください!

芸術的価値

デザインと芸術のグラデーション

いい加減サッカーとの関連の話をしろよと思いますよね。書いている自分が誰よりも思っています。もう少しお付き合いください。
私はここまでの調べ物や議論を経て、芸術について考えるときは異なる概念が必要なのではないかと考えました。その理由がpart1で見られた現代における芸術とデザインという異なる概念の不可分性です。要するに密接に関わりすぎて割り切れないということです。しかし、この二つの間である程度の区別をつける、何らかの形での言語化が必要でしょう。でないと、この後考察したいスポーツと芸術を語るのが非常に困難であるからです。

なので、私は「芸術的価値」という見方を尺度として用いるのが良いのではと思います。「芸術的価値がある作品」などという風にいいますよね。これは、受け手が「これに芸術を感じる!」と言ったときに使われる表現だと思います。さて、なぜこの表現が有用だと思うのか、それはこの芸術的価値という視点がデザインと芸術の不可分性を補ってくれるからです。つまり誰かが、芸術的価値があると思えば、それが例え芸術と言い切れないにしろ、デザインと芸術の二項対立から抜け出し、両者の間にグラデーションを付けられるようになるということです。このような視点を持つことで、デザインと曖昧な関係性である芸術をスポーツと掛け合わせることができるのではないでしょうか。

なお、この芸術的価値には社会において高く評価されるものと、そうでないものが存在すると言えます。多くの人が美しいと感じる、感動する作品には、ある程度偏りがあり均等に分布する訳ではないでしょう。芸術的価値の有無を決めるのは当然人それぞれですが、その上で傾向があることは留意すべきかと思います。

なんで「価値」?

結論に入る前に、芸術的「価値」という表現を選んだ理由を説明しようと思います。単刀直入に言えば、価値が交換可能なものだから、となります。反対に、例えば「芸術的である」という認識では交換が難しいのです。スポーツと芸術を組み合わせること、スポーツの芸術的な側面を顕在化させることで、芸術的価値を届ける。それこそが、芸術という観点からスポーツの可能性を広げることにつながると思います。
これは、そもそもスポーツの可能性を広げるという目標の意味にもつながってくるので、なるべく割愛して説明しますが、要するに価値を生まないと金銭も発生しない、金銭が発生しないと価値を提供し続けられない、ということです。語弊を恐れずに言えば、お金を儲ける仕組み抜きにはスポーツの可能性は広がらないということです。だからこそ、私は価値という視点を大事にしたいですし、そのような表現を用いました。

そしてここでやはり登場するのが、芸術とデザインの不可分性ではないでしょうか。芸術を人々に届け、価値を交換するには一定のデザインが不可欠になります。芸術的価値を提供するためにデザインを利用する。目的と手段のような関係性にも見えますが、どちらにせよ片方に限定する、完全に区別することはやはり難しいでしょう。この視点に対して強い納得感を得ることができたのは本稿を書いたことによる大きな収穫な気がします。

結論:フットボールは芸術か?

という訳でようやくフットボールと芸術の話に入ります。ここまでの議論を踏まえれば、「フットボールは芸術か?」という問いに対しては残念ながら「人による」と答えることしかできません。
ただその上で、私は「芸術的価値はある」ということは言い切れます。「一定の技術と身体を駆使した人間活動」ですし、「観賞的価値」を私自身感じます。この観賞的価値に関しては、これだけ世界中で人気が高いことからも見受けられます。価値を感じるものに傾向があるというのはまさにこのような事例ではないでしょうか。
何より、「内発的感情」が発現するものだと思います。そもそもスポーツ全般がそうなのではとも思いますが、スポーツを実践する人はそれが好きでやっていることが多いと思います。自分はここが好き、こういうプレーをしたいなど、こだわりのようなものです。これらはまさに内発的な感情や動機ではないでしょうか。お金をもらっているプロ選手にしても、少なくとも誰かのニーズに応えることがキッカケであった訳ではないでしょう。親の方が熱くなってつまらなそうにプレーする子供にとってはデザインかもしれませんが、それこそ明らかにスポーツの本質とはかけ離れています。

なお、「芸術である」と言い切ることはしませんでした。これは、勝敗が大きな要素であるスポーツ、とりわけフットボールと、勝敗が大きな要素ではない芸術をイコールで結ぶことは感覚的に難しいと感じたからです。トップレベルになるほどこの要素は強まりますし、そこは従来の芸術と異なるように感じます。加えて、プロスポーツには観客が常にセットとして存在すると思います。その点で言えばデザインの要素もある程度含むべきであり、やはり芸術だと断言することには違和感があります。あくまで個人の感覚の話だと思っていただきたいです。皆さんはどう思いますか?

終わりに

このように、「フットボールは芸術的価値がある」と自分の中で結論づけることができました。これだけ明確に言語化すればある程度自信を持って言えるかなと思います。ですが、これからが本題というか、あくまで本稿は前提条件に過ぎません。part1の初めに、の章でも述べましたが、私はフットボール(スポーツ)の可能性を広げるべく、まずは現状の自分の知識で考え、既存のものを知り、そして必要なことは調べるというプロセスを積み上げようと思っています。本稿はあくまでその一環、記念すべき一つ目のレポートです。今後は芸術を分類し、ケーススタディを進めていくことで理解と知識を深めていければと思います。正直今回は長くなり過ぎたので、次回以降は自分のハードルを下げてあげて、継続することを何よりも大事に進めていこうと思います。


ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!


参照資料

五十嵐嘉晴 「芸術の語源考」
コトバンク「芸術」https://kotobank.jp/word/芸術-58905
「社会が変われば定義も変わる【芸術・美術・アート】」https://arttank.co.jp/clipboard/483/#:~:text=artはラテン語のアルス,「技芸」をさしていた。
「『芸術、美術、アート、デザインの違いって?』×Artプロジェクトをすすめるにあたって」https://www.kazaana.net/2019/12/11/20191206/

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