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フットボールは芸術か?前編

初めに

本稿は芸術とフットボールの関連性を考えるものです。ことのきっかけは1/26に行われたissueでした。(issueアカウントはこちら)この日のテーマは「football×アート」。さまざまな議論や意見が飛び交い、非常に面白い時間だったのですが、結局芸術とは何か?の定義が出ずに、少なくとも自分の中で納得のいく形で決着がつかずに終了してしまいした。

私はスポーツの可能性を広げたい。そのために、他の分野との掛け合わせの可能性を模索していくことは元々これからの春休みの目標で、そしてアートはその中のテーマの一つでした。
しかし、自分の中でサッカー以外のジャンルの定義が腑に落ちていなければ、そもそも掛け合わせる可能性の事なんて考えられないのでは?と今回のissueで思ってしまいました。前置きが長くなりましたが、今回はこのような背景をもとに「芸術」について考察します。長くなると思いますので最後までお付き合い頂かなくても構いません。つまみ食いのような形でも良いので読んでもらえたら幸いです。


そもそも芸術とは?言葉の定義

辞書より

困ったら辞書を引こう、ということで「芸術」についてまずは辞書の考えを借りて考えます。

[芸術]
①    [後漢書]技芸と学術。
②    (art)一定の材料・技術・身体などを駆使して観賞的価値を創出する人間の活動及びその所産。絵画・彫刻・工芸・建築・詩・音楽・舞踊などの総称。特に絵画・彫刻など視覚にまつわるもののみを指す場合もある。

(広辞苑第六版)

我々が日頃から使うのは②の方でしょう。Artとほぼ同義に扱っている人が多いし、こっちの方がしっくり来る人が多いと思います。

次に、デジタル辞書であるコトバンクの内容を一部抜粋します。

・作品の創作と鑑賞によって精神の充実体験を追求する文化活動。文学、音 楽、造形美術、演劇、舞踊、映画などの総称
・今日では他人と分ち合えるような美的な物体,環境,経験をつくりだす人間の創造活動,あるいはその活動による成果

コトバンク

ちなみに、コトバンクには佐々木健一さんという東大出身の博士さんの文献からの引用が載っていて非常に面白かったです。
さて、ここで着目すべきは、「観賞的価値」や「精神の充実体験」といった表現ではないでしょうか。特に「精神の充実体験」はかなり抽象度が高い表現ですが、注目すべきは受け手の存在を明確に意識していることです。「他人と分ち合えるような」という表現にも見られるように、作り手と受け手がそれぞれ存在し、受け手も価値を見出すことが前提となっているように思います。この視点は非常にカギになりそうです。

語源より

次に語源の観点から考察しましょう。これに関しては、諸説あるのでなんとも言えませんが、語源と考えられるのは西洋の“art”と東洋の「藝術」のようです。広辞苑の定義が二種類あったのはここに起因するのだと思います。
また、似た言葉として「美術」というものも存在します。この言葉はどうやら“fine arts”の訳語であるようで、だからただの芸術ではなく、「美」という字を用いているような気がします。これも広辞苑で定義を調べてみましょう。

[美術]
(“fine arts”の訳語)本来は芸術一般を指すが、現在では絵画・彫刻・書・建築・工芸など造形芸術を意味する

(広辞苑第六版)

ということで、“fine“感はなくなり、現在の定義は形成されています。自分もこの定義に違和感はないので、(美大には音楽科はないけど藝大にはあるみたいな)現在の用法としてはこれが一番無難なように思います。
あまり語源にこだわりすぎて、本来の意味はこうだ!と主張しすぎるのも違うかなと思いますが、今回調べる中で色々と芸術の語源やその変遷が垣間見えたのは面白かったです。

デザインと芸術

デザインと芸術は別物?

ここまで芸術という概念を理解するために色々と調べてそれをまとめる作業をしたので、そろそろ考察をします。冒頭でも紹介したissueでは、資本主義とサッカー・芸術の関連のような話も出ました。とりわけ「ニーズに応える形での創作物は芸術なのか」という点が印象的だったのでその視点をお借りしようと思います。極論、「当事者が芸術と思えばそれは芸術だ!」というのでは議論にならないので、一旦置いておきます。

これに関しては、デザインと芸術を区別するということで自分の中で納得のいく結論がその時ひとまず出ました。求められているものに対してそれに応える創作がデザイン、自らの生き様や想いが表出している創作が芸術。外発的か内発的かのような区分をすることもできる気がします。ただ、この二つは明確には区別はしない、というよりできない、曖昧な関係ではないでしょうか。
例えば、現在リリースされる多くの音楽はデザインされているらしく、イントロはできるだけ短く、という手法が存在するそうです。これは、飽きっぽい今の若者は長いイントロなんて聞いてくれないから、という背景があるみたいですが、このようにニーズに合わせて曲を作っているなら、それは絶対に芸術ではない!と言えるのでしょうか?

不可分

結論から言えば、上記議論は揚げ足取りのようなものだと思います。例えば、仮にデザインで作られた作品だとしても受け手が「芸術的だ!」と感じたらそれは芸術となるのでしょうか?ニーズには応えつつも、自らの思いも乗せて作品を作ったとしたら?そもそも、自分の想いをみんなに知ってもらう、届けるには多少ニーズに応えなくてはならないのではないか?など、この二つは非常に複雑に絡み合っています。このように他者を意識した時点でそれは芸術ではなくなるのか、ニーズより自分のエゴを優先した瞬間それはデザインではなくなるのか。ここは明確に二分できないでしょう。したがって、ある創作物をどちらかに明確に分けることは不可能なのかなと考えます。「都合が良くて中途半端だ!」と言われたら否定はできませんが、現実はそうなのではないかと思います。これには創作活動を生業にするには消費者に選んでもらわなければならない、という現在の社会・経済制度も絡んでいると思います。
その意味では、仮にどうしても結論をつけるなら、初めに極論だと切り捨てた「当事者が芸術と思えばそれは芸術だ!」が正解になるでしょうか。

結局「芸術」の定義は?

ではここまでの議論を経て、自分なりに芸術の定義について考えます。正直これは言葉の響きやフィーリングの話ですし当然これが正解だ!と主張するつもりは全くないです。ただ、便宜上定義しておいた方が良いかなと思いました。以下のようなものです

芸術(art)とは、一定の材料・技術・身体などを駆使して観賞的価値を創出する人間の活動及びその所産。その中でもとりわけ、創り手の内発的な感情や動機が強く影響するもの。応用芸術であるデザインを対照的な存在とする。


三行もかかってしまいました。ちなみに前半は広辞苑丸パクリ、後半にはissueで出た内容を中心に置かせていただきました。
なお突然、応用芸術というワードができてきましたが、デザインと芸術の関係について調べたところ以下のような興味深いサイトがあったのでそちらを参照しました。興味ある方は見てみてください。
(「『芸術、美術、アート、デザインの違いって?』×Artプロジェクトをすすめるにあたって」リンクはこちら) 


終わりに

ここまで読んでいただきありがとうございました!
だいぶ長くなってしまったにも拘らず、結局フットボールの話まで辿り着けませんでした。

後編ではさらに深ぼった上で
フットボールとの関係についても書いています。
興味を持っていただいた方は是非ご覧いただきたいです!

後編はこちら↓↓↓


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