仁木恭次

1993年生まれ。大学時代は犯罪学を専攻。様々な事件を調査している。不思議な話や怖い話…

仁木恭次

1993年生まれ。大学時代は犯罪学を専攻。様々な事件を調査している。不思議な話や怖い話も興味あり。

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記事一覧

仙台育英vs下関国際、選手の体格を見てわかる両校の差とは

両校の体格差  今年の甲子園決勝戦の高校、仙台育英と下関国際の選手を見比べて「おやっ」と気が付いたことがある。下関国際の選手が妙に痩せているのだ。  いったいど…

仁木恭次
2年前
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“偽教師”失踪事件 1年9ヶ月も身分を偽り教師をしていた謎の男が姿を消した【1949年10月30日】

 1949年、謎の男が消息を絶った。  朝日新聞同年10月30日号によると、Nという男性教師(29歳)が失踪した。Nは宮崎県の日之影中学校で教師を務めており、京都大学卒の元…

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2年前
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“暴力警官”現る 通行人を銃で脅し、暴行を加え全身11カ所を怪我させた警察官【1950年5月19日】

 1950年、まるで『こち亀』の両津勘吉のような暴力警官が世間を賑わせる事件があった。  朝日新聞1950年5月19日号によると、同年同月15日午後9時半、台東区でA巡査は酒…

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2年前
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投石、放火、なだれ込み…競輪場で3000人が暴れ狂う大騒ぎ。同日には硫酸を浴びせかける凶悪強盗事件も【1950年6月28日】

 1950年6月27日、埼玉県の村山競輪場で約3000名の観客が暴動を起こした。  この日の川越市主催最終レースで、本命とされていた福永一平が着外となり、前日の後楽園で病…

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2年前
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勉強中の小学生が突然死……。命を奪った物は「鉛筆のキャップ」だった【1950年4月16日】

 1950年4月15日、東京都国分寺にあるそろばん塾で、授業中に小学生のAくんが突然倒れた。Aくんはすぐ病院に運び込まれたが、人工呼吸の甲斐なくまもなく死亡した。  い…

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2年前
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南京虫が赤ちゃんを喰い殺した。戦前の日本で起きた恐怖の事件【1936年4月9日】

 南京虫と言えば昨今の日本では見かけなくなったが、戦前、戦後直後の日本では現代のゴキブリのようにあちこちの民家に現れていたことで知られる害虫だ。  その南京虫が…

仁木恭次
2年前
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戦前に起きた一家7人殺傷事件。19歳の犯人は「世の中が嫌になったので全部殺して自分も死ぬ」と語った【1936年4月26日】

1936年4月25日、世田谷区で一家7人殺傷事件が起こった。犯人は19歳の、一家が雇っている青年だったという。 事件の経緯はこうだ。この日の午前3時半、世田谷区の代田交番…

仁木恭次
2年前
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二重人格を発症した男、アンセル・ブーンの数奇な生涯

先日、荒俣宏『パラノイア創造史』を読んでいたところ、数奇な人生を歩んだ男を知った。彼の名は「アンセル・ブーン」という。 ブーンは端的に言うと、二重人格を発症した…

仁木恭次
2年前
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仙台育英vs下関国際、選手の体格を見てわかる両校の差とは

両校の体格差  今年の甲子園決勝戦の高校、仙台育英と下関国際の選手を見比べて「おやっ」と気が付いたことがある。下関国際の選手が妙に痩せているのだ。  いったいどういうことか。まず主な選手の身長、体重一覧を見てみよう。  これだけだと比較対象がないためわかりづらいが、他校の選手と比べると群を抜いて体重が軽い選手が多い。例えば仙台育英の平均身長と体重は、174.33cm、76.78kg、BMI25.26だ。平均身長はほぼ同じであるにも関わらず、体重の差が約7kgもある。

“偽教師”失踪事件 1年9ヶ月も身分を偽り教師をしていた謎の男が姿を消した【1949年10月30日】

 1949年、謎の男が消息を絶った。  朝日新聞同年10月30日号によると、Nという男性教師(29歳)が失踪した。Nは宮崎県の日之影中学校で教師を務めており、京都大学卒の元陸軍技術大尉という触れ込みだった。  なかなか優れた経歴だが、他の教師からの評判は「生活力のない男」というもの。さらに9月頃から勤務ぶりが悪くなったことで、校長に「君の学歴に疑いを持つ」と言われ「すみません」と泣き出すこともあった。その翌日、10月7日に辞表を提出し、妻子と共に引っ越したが、どうもNの言

“暴力警官”現る 通行人を銃で脅し、暴行を加え全身11カ所を怪我させた警察官【1950年5月19日】

 1950年、まるで『こち亀』の両津勘吉のような暴力警官が世間を賑わせる事件があった。  朝日新聞1950年5月19日号によると、同年同月15日午後9時半、台東区でA巡査は酒に酔って歩いていたところ通行人Bさんとぶつかった。Bさんが「だいぶいい顔色ですね」と言ってその場をあとにしようとしたところ、A巡査は突然ピストルを突きつけた。さらに「警察の者だ」と言い、上野駅構内にある交番へ連行。休憩室へ連れ込み「なまいきだ」と警棒と野球のバットで殴りつけた。  その後、列車を待つ乗

投石、放火、なだれ込み…競輪場で3000人が暴れ狂う大騒ぎ。同日には硫酸を浴びせかける凶悪強盗事件も【1950年6月28日】

 1950年6月27日、埼玉県の村山競輪場で約3000名の観客が暴動を起こした。  この日の川越市主催最終レースで、本命とされていた福永一平が着外となり、前日の後楽園で病気のため最下位だった小島浩が一着となったところ、観客が「八百長だ」と騒ぎ出した。さらに競輪本部へ押しかけ、払い戻しを要求。もちろん競輪振興会・吉原理事長は拒否したが、これに激怒した観客約3000名が午後7時頃から暴れ出した。  暴徒と化した観客はまず、本部の窓ガラスに投石し、破壊。さらに選手控え室の椅子や

勉強中の小学生が突然死……。命を奪った物は「鉛筆のキャップ」だった【1950年4月16日】

 1950年4月15日、東京都国分寺にあるそろばん塾で、授業中に小学生のAくんが突然倒れた。Aくんはすぐ病院に運び込まれたが、人工呼吸の甲斐なくまもなく死亡した。  いったいAくんはなぜ亡くなったのか……? 遺体を調べたところ、声帯に固いものがひっかかり気道を塞いでいることが確認された。引っ張り出してみると、それは青いセルロイド製の鉛筆キャップだったという。  さらに、Aくんがそろばんの練習中にキャップをしゃぶっていたところも目撃されている。そのため警察は、ちょっとしたは

南京虫が赤ちゃんを喰い殺した。戦前の日本で起きた恐怖の事件【1936年4月9日】

 南京虫と言えば昨今の日本では見かけなくなったが、戦前、戦後直後の日本では現代のゴキブリのようにあちこちの民家に現れていたことで知られる害虫だ。  その南京虫が生後間もない赤ちゃんを喰い殺した事件が、1936年4月7日に起きた。  当時の朝日新聞によると、東京都本所区(現在の墨田区南部)のオートバイ修繕業を営む一家に、男の子が生まれた。前月2日に長男を消化不良で亡くしていたこともあり、夫婦は今度こそ大事に育てねばならんとこの子を慈しんだそうだ。  しかし、生まれた翌日に

戦前に起きた一家7人殺傷事件。19歳の犯人は「世の中が嫌になったので全部殺して自分も死ぬ」と語った【1936年4月26日】

1936年4月25日、世田谷区で一家7人殺傷事件が起こった。犯人は19歳の、一家が雇っている青年だったという。 事件の経緯はこうだ。この日の午前3時半、世田谷区の代田交番に頭から血を流している少年が「お父さんとお母さんが殺された!」と叫んで駆け込んできた。 この少年は染物屋の長男(11歳)で、警官が家へ行くと血だらけの台所に主人(35歳)が倒れており、奥の六畳間では妻(35歳)、長女(6歳)、次女(4歳)、次男(10歳)の4名が頭と胸をマサカリと鍬で滅多斬りにされて倒れて

二重人格を発症した男、アンセル・ブーンの数奇な生涯

先日、荒俣宏『パラノイア創造史』を読んでいたところ、数奇な人生を歩んだ男を知った。彼の名は「アンセル・ブーン」という。 ブーンは端的に言うと、二重人格を発症した男である。ここでは『パラノイア創造史』以外にもブーンを扱った書籍『近世天眼通実験研究』(明治36年出版)を参照しながら、彼の人生を見ていきたい(なお、『近世天眼通実験研究』ではブーンの名前は「アンセル・ボーン」と書かれている)。 ブーンは1826年に生まれ、アメリカ、ロードアイランドで大工として働いていた。しかし1