戦前に起きた一家7人殺傷事件。19歳の犯人は「世の中が嫌になったので全部殺して自分も死ぬ」と語った【1936年4月26日】
1936年4月25日、世田谷区で一家7人殺傷事件が起こった。犯人は19歳の、一家が雇っている青年だったという。
事件の経緯はこうだ。この日の午前3時半、世田谷区の代田交番に頭から血を流している少年が「お父さんとお母さんが殺された!」と叫んで駆け込んできた。
この少年は染物屋の長男(11歳)で、警官が家へ行くと血だらけの台所に主人(35歳)が倒れており、奥の六畳間では妻(35歳)、長女(6歳)、次女(4歳)、次男(10歳)の4名が頭と胸をマサカリと鍬で滅多斬りにされて倒れていた。さらに隣室の4畳半にも雇い人の男(16歳)が同じく頭部を殴られて倒れていたという。
また、隣の4畳半では雇い人の男(16歳)の従兄弟で、同じく同家の雇い人・R(19歳)が台所から引き込んだガス管を口にを咥えて自殺を図り、昏倒していた。警官はRを取り押さえ、虫の息の主人、次男、雇い人、そして駆け込んできた長男を病院へ送ったが、手当の甲斐なく主人は午前7時、次男は午後2時15分に死亡した。また、妻、長女、次女は即死だったという。
犯人のRは事件の6年前から同家に雇われていたが、主人が金銭に細かいために勘定のことでいつも叱られており、事件直前には妻に面白くない態度を取ったということで注意されていた。さらにRは叱られる辛さから神経衰弱を患い、夜も熟睡出来ず悩んでいたようだ。
事情聴取でRは「生きてる気持ちがしない。世の中が嫌になったので全部殺して自分も死ぬつもりだった」と、犯行の動機を語っている。また、Rは事件を起こしたあと、染物に使う劇薬、クロム酸カリウムを飲んで死ぬつもりだったが飲みきれず、ガス管自殺を図ったという。
被害者一家の親戚は「加害者は私の家にも来たことがありますが、無口でおとなしい青年でしたのに、どうしてあんな大それたことを仕出かしたのか見当がつきません」と、犯人の人柄を語った。
普段はおとなしい少年or青年が、辛い日々が続くなか世の中が嫌になり、みんな殺して自分も死ぬと思いつめて、世間を騒がせる事件を起こす……。近年こうした犯人像や殺人の動機がメディアによって語られるが、それは何も「現代の心の病」などでは決してない。
戦前の時代からこうした犯人や動機は存在した。いつの世も追い詰められた人間が自暴自棄となり事件を起こすことがある……。こうした現実を考えさせられる、遠い昔の殺人事件だった。
参考文献:朝日新聞1936年4月26日号
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