大学入試改革とコンピテンシー・ベース

社会の変化は確実にコンピテンシーを求めているのに、なぜ教育現場はコンテンツにこだわり続けるのでしょうか。

それは、
 (1)以前にも書いた「実質陶冶」幻想。
 (2)先生たちが持つ変化への恐れ。
 (3)入試の存在。
が要因だと、私は考えています。

今回は、この「入試の存在」について考えていきましょう。

就職や社会での活躍に学歴なんて関係ないと言われ続けて久しいのですが、いまだに学歴偏重の考え方はしつこくはびこっています。
それは、小中学生の親の世代(30〜50歳代)が現実に職場等で学歴による差を実感しているからです。親は子どもの将来について本気で心配しています。ちょっとでも学歴による差が存在するのであれば、少しでも良いとされる学歴を保持させたいのが親心です。その気持ちは直接的にも間接的にも子ども本人に伝わります。こうして学歴重視はいまの学校にも色濃く反映されるのです。

学歴は多くの場合、大卒か高卒か、そして大卒の場合は出身大学で判断されます。そしてその大学の優劣は知名度と入学難易度で決まります。
入学難易度は入試科目の成績(偏差値)で判断されます。そして現在の入試制度では難関大学ほど知識の量(コンテンツ・ベース)で成績(合否)が決まるような入試を行なっています。

知識の量で入試の難易度に差をつけようと思えば、どんどん教科書にも載っていないようなマニアックな知識を求めるようになります。高校生がそんなことを知っている必要がある?と疑問を感じるような細かな知識を問う出題がされるようになります。こうして、マニアックなクイズ王のような人が生み出されていくのです。

保護者も子どもも学歴を重視し、より難易度の高い大学に入学したいという希望を持っています。そうなるとその希望を叶えるために、高校の先生は難関大学に合格するレベルのコンテンツ・ベースの授業をせざるを得ないのです。
社会で必要とされる知識かどうかに疑問を持ちながらも、進学校の先生方は今日も無駄にクイズ王を育て続けているのです。

この構造は中学生でも同じです。より難易度の高い高校に合格するためには、中学校の先生もコンテンツ・ベースの授業をせざるを得ません。
こうしてコンテンツ・ベース授業を重視する風土ができあがるのです。

高校の先生も世間からの評価を気にします。それは生徒募集にも響きます。私立の進学校だったら、そのことは学校存亡の問題でもあります。そして、その評価の指標が、難関大学に何人進学させたかなのです。

これは、コンテンツ・ベースを温存する最大の理由とも言えるでしょう。
ここまでくると勘のいい読者の方は「だったら大学入試をコンピテンシー重視にすれば高校以下の学校でもコンピテンシー・ベースになるのでは?」と気づいたことでしょう。

そうです。その通りです。それがコンテンツ・ベースからコンピテンシー・ベースへの転換の1つの解決の方向性です。

しかし、そう簡単ではないのです。そこには、私が最大の課題だと思っている、ある問題が立ちはだかります。それは「コンピテンシーの評価方法」です。大学入試で評価するからには、評価の客観性と公正性が大切です。誰から見ても偏りない判断ができているよね、といわれなければならないのです。コンピテンシーを客観性と公正性を保ちながら、さらに一定の時間と手間とコストの中で実現する評価方法がなかなか難しいのです。

現在、大学入試改革が進んでおり、様々な方法が試されています。総合型選抜入試(従来のAO入試)もその1つです。多様な側面から受験生の能力を試そうとしています。こういった入試改革の進展は将来に向けて期待されています。
大学入試が変わらないと高校の教育が変わらないというのは、現実としては否めないのですが、大学入試改革を待っていてはいつになるかわからないので、高校や中学校の教育現場から変えていきましょう。

私は、コンピテンシーとコンテンツは、どちらかに力を入れるとどちらかが疎かになるというトレードオフの関係ではなく、両立するものだと考えています。そのあたりの話はまた後日。

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