教員時代の師匠の話。

ちょっと、僕の教員時代の師匠の話を書いてみる。

僕には、モデルケースとしている教員がいない。

こういうと偉そうに聞こえてしまうかもしれないけれども、自分の観点でみて自分よりも優れている教員はいないからだ。

これは何も自分が優れている教員だと言っているのではない。

自分とは異なる観点でみれば、自分より優れている教員はいくらでもいる。

世間の教員の評価というものがもしあるとすれば、僕は、どちらかといえば劣っている方に入るとさえ思う。

でも、自分の観点でみれば、自分が一番優れていると思う。

これは、本当は当然のことであると僕は思っているし、むしろ、本来であれば誰もがそうであることが教員として果たすべき最低限の倫理だとさえ思っている。

ただ、「少なくとも自分の観点でみれば自分が一番優れている教員であれ」というテーゼは、一般的には、かなり受け入れ難いテーゼであるようなので、普段はあまり全面に押し出さないようにしている。

ともあれ、僕は、自分の観点でみて自分より優れている教員はいないと思っている。


そんな僕にとっても、唯一、師匠と思っている人がいる。

それは、初任者で特別支援教室(通級)一年目のときに出会ったN先生だ。

N先生は、僕の観点とは異なる観点で教員をしている人だけれども、僕は彼女から多くのことを学んだ。

彼女は、僕の直接の指導教諭ではなかったけれども、彼女が主任をする特別支援教室(通級)のチームで、僕は育てられた。


特別支援教育の世界では、今、行動主義のパラダイムにもとづいた指導法が主流なものとして広がっている。

応用行動分析(ABA)の考え方やポジティブ行動支援(PBS)の方法に立脚した指導がよいものとされている。

N先生も、基本的にはこの立場をとっていた。

僕は、ヴィゴツキアン・アプローチの精神発達理論の考え方に立脚しているから、行動主義のパラダイムにもとづいた指導法に対しては、一定の意義を認めつつ、批判的なスタンスをとっている。

その意味で、僕は、N先生とは、根本的に異なる指導観で教員をしていた。

けれども、それでも、僕が彼女のことを師匠と呼ぶのは、根本的な考え方や指導観は異なりながらも、とても多くのことを彼女から学んだからだった。


彼女は、とても丁寧に仕事をする人だった。

特別支援教室(通級)で出す資料は、基本的にすべてダブルチェックをしていたし、小グループ指導の指導案は、模擬授業を含めて3回は検討をしていた。

資料のチェックも、授業の検討も、チーム内での検討であげられた課題が解決するまで終わらず、これで良いと決定するまで多くの時間を費やすこともあった。

個別支援計画のダブルチェックが終わらなくて、特別支援教室(通級)の教員が全員22:00まで残って仕事をしていたこともあった。

これは30年前の話ではない。
つい数年前の話だ。

働き方改革という言葉がちょうど出てきた頃だったが、今思えば、彼女のやり方は、働き方改革とは逆行していたようにも感じる。

でも、僕は、彼女のやり方が間違っていたとは思っていない。

彼女の丁寧な仕事があったからこそ、僕が所属していた特別支援教室(通級)のチームは、圧倒的に子どもや保護者からの評判が良かった。

地域の特別支援教室(通級)の集まりでは、保護者や子どもの難しさが話題にあがったが、その話を聴くたびに、僕の所属していたチームが、いかにその部分を丁寧にクリアしているかということを思い知らされた。

きっと、時間をかけて丁寧にやっていなければ、いろいろと問題が噴出して、その対応に時間をとられていただろうし、問題が噴出してからではどうにもならないようなこともあっただろう。

あのとき時間をかけて丁寧に仕事をする中で多くのことを学んだことで、余計な仕事を増やさない仕事の仕方を学べたし、実際にあのときのチームでは、余計な仕事を増やさないあり方が実現していたように思う。


職場の同僚関係においても、N先生のおかげで守られていたところがあったと思っている。

若手やとりわけ初任者の教員というのは、マイナスな指導の標的にされやすいところがある。

どこの地域でもそうかもしれないけれども、とりわけ、僕のいた地域では、そういう側面が強くて、初任者指導の先生が執拗な初任者への指導をすることで辞めてしまうということが多々あった。(もちろん、教員の世界には、そういう初任者指導の先生ばかりではなくて、とても優しい先生や、真っ当な指導をする先生もたくさんいる。)

初任者指導の先生の側にもその指導をするそれなりの根拠があるだろうし、初任者の先生の側にも、他にもやりようはあった可能性はある。

だから、当事者ではない僕には、一概にどちらが悪いというようなことは言えない。

けれども、少なくとも、僕のいた環境は、初任者や若手教員にとって、立ち回りが難しい環境であったし、自由にやっていると出る杭は打たれるような雰囲気があったように思う。

そんな中で、僕が、煩わしい干渉を受けることなく、僕にとって有意義だと思える教育実践をすることができて、子どもたちや保護者の方たちに、特別支援教室(通級)の活動をとても価値のあるものと感じ満足していただくことができたのは、N先生の存在に守られていたからという側面が大きいと思っている。

今でも、このことに、とても感謝している。


N先生は、ある意味では厳しい人だった。

初任研の公開授業の指導案を彼女にみてもらったことがあったが、最初にみてもらったときは、活動がほぼ全とっかえになった。

自分が一生懸命つくったものが、ほとんど使えなくなるというのは、なかなかしんどいものだ。

けれども、僕は、活動をほぼ全とっかえにして指導案を書き直すことになったことを理不尽だとは感じなかった。

それは、彼女のコメントがとても真っ当で、僕の思考の線に沿ってそれを実現するためにはこういう手立てが必要なのではないかということを、ピンポイントで指摘していたからだ。

これは、僕の気持ちに寄り添ってくれたとか、そういう話ではない。

僕の気持ちにもっと寄り添ってコメントするなら、もっと、「僕がやりたいこと」を残すようなコメントをしただろう。

でも、彼女はそうはしなかった。

その子どもにつけさせたい力をつけるためには何が必要かという論理に徹する。

それが、彼女のコメントの仕方だった。

それは、行動主義のパラダイムとか、ヴィゴツキアン・アプローチとか、そういうことを超えて、必要な最低限の部分をピンポイントで指摘するようなコメントだった。

だから、指導案を書き直すのは大変だったが、それは必要なことだと思ってやった。

実際、授業は、とても良いものになった。


教員の世界に限ったことではないが、職員室で同僚の先生に困ったことを相談しても、こちらの困り感が伝わらず、その困り感に正対していない明後日の方向からのアドバイスをされて、ただモヤモヤするということがある。

けれども、N先生に何かを相談してそういうことが起こったことは、僕の記憶の中では一度もない。

何かを相談したら、その困り感に正対した、その状況に必要な応答が返ってきた。

だから、僕は、何か困ったことがあったときには、安心して彼女に相談することができたし、そこから学んだことがたくさんあった。


初任者として最後の公開授業をするとき、そのときも、僕は、N先生に指導案をみてもらった。

そのときの彼女のコメントは、意外なものだった。

たしか、僕は遅くまで残って指導案を作って、翌日以降で大丈夫なのでみてくださいという付箋を貼って、彼女のデスクに置いたのだったと思う。

そのときの指導案は、自分にとって、もうこれ以上のものはないと思えるものだった。

けれども、N先生なら、何か僕自身が気づいていない部分の問題を指摘するようなコメントをするかもしれない。

そう思って、僕は少し緊張していた。

彼女からの答えは、「うん。これでいいと思います。」だった。

僕は、その答えを聴いて、逆に不安になった。

彼女は、人の書いたものを適当にみていいと言う人ではない。

実際、指導案をみせてから、返事がきたのは、少し経ってからだったように思う。

だから、中身を見ずにいいと言ったわけではないのは確かだ。

でも、そのとき、僕は、いろいろと他の仕事を抱えていた。

それで、僕は、そんな僕の状況をみて、N先生は、僕への配慮から、内容は改善の余地はあるけどまぁいいよと言ってくれたのではないかと思った。

でも、彼女はそういうことをするような人ではない。

じゃあ、もしかして、今年度最後の公開授業だから僕に花を持たせてやるつもりで、自分のやりたいようにやってごらんという意味の「いいと思います」を言ったのだろうか。

そんなことをいろいろと考えて、僕は不安になった。

その返事をもらった夜は、そんな思考がぐるぐるして、なかなか寝付けなかった。


でも、真相は違った。

N先生は、実際に指導案をみて、それを良いと判断して、「いいと思います」と言っていた。

僕は、結局、何かのタイミングで、N先生の「いいと思います」にいろんな不安を抱えていたことも彼女に伝えて、「いや、実際、これでいいから」みたいな返事をもらったのだった気がする。

嬉しかった。

「よくできたね」とか、「頑張ったね」とか「すごくいいね」とか、そんな言葉は一切もらわなかったけれども、N先生の目からみてこれでいいと言える指導案をつくることができたことが、すごく嬉しかった。


きっと、僕が、ヴィゴツキーやニューマン&ホルツマンの発達心理学のスタンスをとりながらも、特別支援教育やソーシャルスキルトレーニングを安直に規律訓練型の社会に個人を適合させる悪しきものと批判せずに、個人が社会の中で気持ちよく豊かに生きるための手立てとしての可能性をもつものととらえるようになったのは、N先生との出会いがあったからだと思っている。

特別支援教育やソーシャルスキルトレーニングの中にも、規律訓練型の社会に個人を適合させるという志向性を強くもった批判すべきものが多くあり、そういったものとは批判的に向き合うべきだと思っているし、実際に、N先生が去った後、僕は、特別支援教室(通級)のチームの中で何度も考え方の違いに悩むことがあった。

でも、それは、特別支援教育やソーシャルスキルトレーニングの運用の仕方の問題なのであって、特別支援教育やソーシャルスキルトレーニングそのものの問題なのではないと思っている。

特別支援教育やソーシャルスキルトレーニングは、毒にも薬にもなる。

だから、適切に使うことが必要だ。

僕は、そんなふうに考えている。


N先生は、今頃、どうしているだろうか。

彼女に育ててもらった恩を返すためにも、やっぱり、今は一旦、学校現場から離れているとはいえ、簡単に教育の世界から離脱するわけにはいかないなと、そんなことを思っている。

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