『医龍』に学ぶ教師論⑤

漫画『医龍』の台詞をもとに教師としてのあるべき姿を考える連載の第五弾です。


前回は、伊集院登が発した「「医者」は、命と患者の人格は分けて考えた方がラクだと思っていたのに…」という言葉をもとに教師論を考えました。

今回は、「お前が引き受けて、お前が切った患者だろオ。責任はお前が取るんだよ。」という言葉をもとに、教師論を考えます。


漫画『医龍』の第四巻に、研修医の伊集院登が手術の助手を務めるシーンがあります。

伊集院は、手術後に、いきなり手術の助手をやらせてきた朝田龍太郎に対して、もし手術中に何かあったらどう責任を取るつもりかと迫ります。

それに対して、朝田が言ったのが、次の台詞です。

「お前が引き受けて、お前が切った患者だろオ。責任はお前が取るんだよ。」

このように、朝田は、伊集院に、手術で自分が行った処置に対しては、自分で責任を取るものだと伝えます。

研修医の伊集院に手術の助手をやらせておいて、責任は自分で取れというのは無責任だと思われるかもしれません。

しかし、一方で、自分の責任で手術をせよと言うことは、自律的に自分で考えて、自分の裁量権を発揮して手術をすることを認めるということでもあります。

手術という職人芸の世界では、このような自由と責任が求められるということなのではないでしょうか。


教師にとっても同じことがいえます。

子どもに対する教師の言動に責任を取るのは、誰でしょうか。

管理職や学年主任、指導教諭の先生に言われたから、その通りに指導をして、その人たちに責任を取ってもらうのでしょうか。

最終的な子どもに対する責任は、直接的に、その言動をとった教師が負うべきだと、私は考えます。

それは、裏を返せば、その責任の中での教師の自律的な判断(自由裁量権)が認められるべきだということでもあります。

教師の授業も、手術と同じように職人芸のようなところがあります。

授業においても、手術と同様に、このような自由と責任が求められるのではないでしょうか。


今回の記事では、『医龍』の「お前が引き受けて、お前が切った患者だろオ。責任はお前が取るんだよ。」という台詞をもとに、教師論を考えました。

いかがだったでしょうか。

それでは、次回も、お楽しみに。

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