「あいさつ」「あいさつ運動」
こんばんは。突然ですが、子どものころ「あいさつしましょう。」って言われたことありませんか?
義務教育の機関において「あいさつ運動」とやらが、おこなわれていることに少々疑問です。
小学校現場における「あいさつ奨励運動」、何をしているか、私の見たことをちょこっと紹介します。
校門に先生方や学生ボランティア、スクールサポーターの人が立ち、登校する子どもたちを迎えます。
そして、朝から「おはようございます!」と張り切って子どもに言います。
…が、ここからが問題だと感じているのです。
「挨拶がかえってこない!」や「子どもたちが挨拶できない!」と、学校の大人たちは言うのです。
「挨拶」に見返りを求めているのでしょうか…と大変つらい思いを感じています。
仮に、あいさつをさせたいならば、あいさつをしてメリットを感じさせる必要があると考えるのです。
たとえば、子どもから「おはようございます!」と言ってきた。
それに対して、同じように「おはようございます!」ではなく、
「わぁ、元気もらいました!ありがとう!」といった、『あなたのその一言のおかげで私は元気になりました。』という、評価というか効果を言葉で伝えることが、行動の強化に繋がると感じています。…私は、以前、このように子どもたちに言葉を返したわけですが、圧倒的に「おはようございます!」と言う人は増えたことを実感しました。ただ、それは、挨拶をしたことへのフィードバックをした人(私)に対して限定的に見られた姿も見受けられたので、それの善し悪しについては今は置いておきます。
先生方の「まずは、先生がやってみせなくてはならない!」という信念、これはリスペクトしています。
ただ、相手を変えたければ、相手にとっての喜び「あいさつして良かった!」と思える実感、それが必要条件の一つのように思うのです。
これは、数年前から学校現場における「安全当番の日報」とやらに書いているのですが、その日報も形式化されたもので終わっている。
やるからには、本気でやりましょう。という思いは、個人ではなく組織でもたなければ変化は期待できないことが顕在化、明るみに出る場面の一つです。
「やらされ仕事」は「仕事」ではなく「労働」。「やらされ労働」です。
「仕事」は、やはり「世のため、人のため」になることでなくっちゃなと思います。
本気で臨むこと、それを仕事と呼びたいところです。
挨拶は、大切であることは言うまでもありませんが、「返事」「反応」は期待するものではない。「したいからやっている」。
だから、コンビニのレジとかでも、「おはようございます、お願いしますぅ~」って言いたいじゃないですか。そうであってほしい。だって、なんか、そのほうが、なんだかいいなって思いませんか。
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