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「稼ぐこと」と「自己投資」 ➀高校編

はじめに

 「自分がしたいことをするには、お金が必要」ということを初めて思い知ったのは、高校入学時である。高校生で部活に励むのは「普通」のことだと思うが、その「普通」のことをするにもお金がかかる。高校入学時に、親から部活のお金(主に道具代など)は出せないと言われた。ショックだった。だが、高校生はアルバイトができることは当時の自分もよく理解していたので、「稼げばいい」と素直に思った。以来今日に至るまで30年以上、何からの形で稼いできた。私にとって稼ぐことは、自分が生きたいように生きるために欠かせない行為である。

 人生最初に稼いだ目的がこのようなことだったので、稼ぐこと・働くことは未来への希望だった。年齢を重ねるごとに、その希望が直近のことから、少し将来の自分に向けられていくようになっていった。その結果、だんだんお金を稼ぐ目的は「自己投資」の要素が強くなっていったと思う。私が現在に至るまで身を粉にして働いているのは、お金を稼ぎ、それを自己投資することで、よりよく生きられることを痛感しているからである。

 そこで、稼いだお金をどうやって自己投資することで、自分の人生をよりよくしていけたのかを述べたいと思う。今悩んでいる高校生などの若い方に知ってもらい、希望を持っていただければ幸いである。大人の皆さんには、とくに大学や大学院で学ぶことに自己投資することで、どう人生が変わることがあるかをお伝えできればと思っている。

 その第一弾として、人生で初めてアルバイトをした高校時代について書く。


1.「必要経費」は自分で賄え!


 わたしの実家は、子どもの「お金」に関して出し渋る家庭で、高校への進学条件が、➀公立高校 ➁自宅から自転車で行けるところ ➂私立厳禁。大学進学も、➀国公立大学 ➁現役 ➂自宅から通学可能なところ ④私立は受験も禁止 ⑤奨学金も借り手はダメ という具合だった。お小遣いは一応もらえたが、高校生にしては少額の2000円/月。ある日、学校でお小遣いのアンケートなるものが実施された。一番低い金額が3000円で、「その他」の項目もなく、それ以外は「もらっていない」という選択肢しかなかった。お小遣いが2000円だった私は、どこにも〇を付けられず、惨めな思いをした記憶がうっすらと蘇る。

 親から出された厳しい条件をクリアし、第一志望の高校に入学することができて、受験が終わった中3の春は浮かれていた。高校生活で楽しみにしていた一つが部活だった。中学校の時と同様、当然部活に関しては問題なくできると思っていたが、入学してまもなく父親から、

部活なんて入らなくてももいいんだから、やりたければ自分で金を出せ!

と言われたのである。多少覚悟はしていたが、やはりショックだった。しかも、自分が入ることにした弓道部は、道具代(弓、矢、胴着、懸など)が10万円ほどかかるという説明を受け、どうやって自分で賄うか考えざるを得なかった。ただ、入部しない選択をする気はさらさらなかった。

 私が入った弓道部は、原則毎日活動があったので、学期中はアルバイトはできない。考えた末、長期休みに短期のアルバイトをすることにした。長期休みの部活は、だいたい半日練習だったので、部活が終わったら急いでアルバイトをし、多少勉強をして…という生活をすることにした。


2.部活で多忙な高校生が選んだアルバイト

 人生初のアルバイトは、中学時代に通っていた塾での試験監督だった。たしか時給が530円。これは1日だけの単発のアルバイトだった。もちろんこれでは全く部活の道具を買うことができない。長期休みにアルバイトをすべく、近所のスーパーやコンビニなどの求人をみていた。だが、長期休みだけのアルバイトは募集していなかった。

 高1の夏休みの時点では、まだ部活の道具は揃える必要はなかったので、様子を見ることにした。2学期に入り秋が深まってきた頃、年末年始に郵便局で年賀状の仕分けのアルバイトがあることを知った。「これだ!」と喜び勇んで面接に行った。だが、基本的に年末年始は1日中休みなく出勤しなければならず、部活があるため半日ならできると伝えたところ、不採用となってしまったのである。
 他にないかと探していたところ、高校から自転車で行ける隣町のデパートで、年末年始のアルバイトを募集しているのを知った。話を聞いたところ、「午後からでも大丈夫ですよ」とのことで、晴れてアルバイトできることになった。

 そのアルバイトは、デパートの食品売り場等年末年始業務が忙しいところに日替わりで配属される仕事である。日によってやる仕事が違い、たしかアルバイトを始めてしばらくの間は、寿司売り場でのりまきか何かを販売した記憶がある。

 当時非常にシャイな性格だったため、寿司売り場での業務は、決して楽ではなかった。大きな声を出して、お客様に寿司を勧めなければならないからだ。年末の慌ただしい雑踏の中、恥ずかしさと義務感で、店を行き交うお客様に、「お寿司いかがでしょうか」と声を張った。

「働くって、お金をもらうって楽じゃない」というのが、まとまったアルバイト体験最初の感想である。


3.働くことの喜び―大入袋の存在―


 アルバイトらしい最初のアルバイトが年末年始だったのは、働くって楽じゃないと感じた高校生にとっては、ある意味幸運だった。労働の対価に給与をもらっているので、それ以上何かがあるとは全く思っていなかった。だが、大晦日のこと。マネージャーのような方が、「大入」と書かれた赤いポチ袋を差し出し、「お疲れ様」と言って渡してくださったのだ。

 大入って何?お年玉袋みたいだけど・・・

と不思議に思い、中身を確認すると、1000円入っていたのである。何でアルバイトの給料日ではないのにお金をくれるのか、不思議でならなかった。

 自宅に帰り、親に聞いたら、「それは大入っていうんだよ。ちょっとしたご褒美だ。よかったね」と言われた。いまいちよくわからなかったが、世間がお休みをする年末年始に仕事をするともらえるらしい。

 年末年始は部活がなかったので、大晦日、2日、3日はたしか一日出勤したと思う。その3日間は毎日「大入」をくれたので、ラッキーだなあと思った。お年玉が少ない家庭だったから、この大入のおかげでお年玉をいつもより多くもらえたような気持になり、とても嬉しかった。

 この大入の存在を知り、大人の世界では労働の対価としての給与だけでなく、お礼のような形でお金をいただくことがあることを知った。額の大きさではなく、よくわからないなりにその心に嬉しさを覚えた気がする。たいして役に立たない高校生アルバイトだが、こんな風に扱ってもらえることがとても喜ばしく、慣れない仕事だが頑張ろうと思えたし、働くってこうやって評価してもらえるんだなということを少し理解した瞬間であった。

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4.初めてのまとまったアルバイト代の「意外な」使い道

 必要に迫られてやったアルバイト代。当時は手渡しであった。はっきり覚えていないが、たしか2~3万円ほどではないだろうか。いずれにしても、当時の私にとっては大金である。午前中部活、午後はダッシュでアルバイト先に向かい、19:00頃まで働く生活を2週間ほどしてみて、自分なりに一生懸命やったこともあり、お給料袋はずっしりと重かった。

 だが、そのアルバイト代はすぐに使えるものではなかった。部活で必要な弓などを買うための資金として、全額「貯金」した。すぐにこのお金で弓などを買いたかったが、残念ながら足りないのである。

 初めてのまとまったアルバイト代の使い道は「貯金」。何か欲しいでも買いたい気持ちがなかったかといった嘘になる。でも、春休みにも短期のアルバイトをやれば、何とか部活の道具が買えると思うと、貯金できることがすごく嬉しかった。

 親にお金をもらって買っていたら、きっと自分で稼ぐことの喜びを高校1年生では理解できなかっただろう。あくまで今から思えばだが、社会人になって、どんなに大変な仕事でも踏ん張れること、お給料をいただけるありがたさが16歳にして分かったという意味では、幸運だったのかもしれない。


 

 

 


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