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人生初の個人的記事投稿でいきなり・・・ -俺「いいね!」なんてひとつも要らないですが、何か?-

おはようございます。はまがです。

色々ありまして、本日からnote本格することになりました。

実のところ・・・、仕事や業務の範疇でなく、プライベートの限りにおいて、こうして文章の類をアップするのは、ネットをかれこれ27年近く続けてきて、何と「初」。

Twitter? ご承知の通り、書き込んでますね。割と多い数。

Twitterについては、黎明期の2008年からアカウントを所有しておりました、単なる情報入手ツールとして用いていただけ。

ユニークのツイートを開始したのは、2017年秋のこと。最近です。ネットに書き込みをする行為自体も、それが「初」でした。

Twitterは日本語で140文字(アルファベットでは280文字)しか言及できませんし、そこにURLやハッシュタグを含めれば、せいぜい90文字書き込みできれば関の山。なので、これが「初」です。

父がかつて大のPC-9801(NEC)というPCのファンだったこともあり、PC-VAN(現 BIGLOBE、NECグループ→投資ファンドを経て、現在KDDIグループ)の契約も古くからありましたんで、パソコン通信からネットに触れている。しかし、そのPC-VANや同種サービスのニフティサーブ(現 nifty、富士通・日商岩井<現 双日>→富士通グループを経て、現在ノジマグループ)でいえば、RAMを25年以上も続けてきた事になります。

何故かというと・・・、まず、パソコン通信の時代。覗いているコミュニティが、当時からとにかく荒れに荒れまくってまして。「書くのが怖い」みたいな状態にはならかった(そうなのだとすれば、覗くことすらやめてしまうはずですからね)とはいえ、「つまらないかつくだらないケンカばっかりしていて、書き込んでも仕方ないよな。こんなところ」みたいな悟りがあったこと。

11月のWindows95発売「マルチメディア革命」と言われたのが1995年。俺も翌年2月、世間のインターネットブームに押されるかのように、Windows95プリインストールの悲願の個人PCを月賦wで購入、テレホーダイも契約し、本格的にインターネットに接続することとなりますが、姿勢は変えなかった。

パソコン通信からインターネットへ移っても、やっぱり同じ。「個人コンテンツを覗くと個人のえり好みや主観ばかりで偏ったものばかり」「BBSを覗けば、つまらない、くだらない事でケンカばっかりしている」同じどころか、どんどんその傾向が顕著になっていくし、そこに「インターネットにはじめてつなぎ、感激してメールしています」とか書き込んじゃうユーザーもスゴい勢いで増えだした。

大学や職場には、幸いなことに常時接続環境もありましたし、メールアドレスなんてものも早くから所有していましたが、あくまで情報入手ツール&コミュニケーションツール、あとは道具としてしか見なしていなかったのです。

ネットがこういう(2019年1月現在)事になることを薄々予期しており、世の中事態も含め、まずい方向にころがるんじゃないか? そんな悟りや諦めがあったからかも知れません。

自宅にブロードバンド環境(高速&常時接続)が整備されたのは、小田急ケーブルビジョン(現 ジェイコムイースト<J:COMせたまち・世田谷局>)が地元でCATVインターネットを開始しした2001年頃でしょうか、なおのこと。増殖する一方のネット民は「インターネット素晴らしい」「インターネットは神!!」みたいな事を殊更主張するわけですが、「神かこれが?」としかならず、感想は変わらない。

ガラケー単体でインターネットに擬似的に接続(iモード、EZWeb、J-SKY→Vodafone Live→Yahoo!ケータイ)できるようになり、AmazonやGoogleが日本でも本格的サービスを拡大を開始し、mixiやGREEといった日本国内向けSNSができ、ブログが爆発的に普及し、Web2.0が殊更に謳われ、堀江貴文さんを「時代の寵児」とひたすらもてはやし、その後ライブドアショックが起き、YouTubeがローンチするのをよそに日本ではニコニコ動画がブームになり、TwitterやFacebookが日本でもローンチし、当時のイー・アクセスがイー・モバイルブランドでモバイル高速データ通信を提供し、ソフトバンクが日本でもiPhoneを発売、時代はガラケーからスマホに変化し・・・

2000年代からの10年で、テクノロジーはこれだけ「進歩」「進化」を遂げました。2010年代の「流れ」をひたすら俺が書いたところで、中学生辺りのネット民から「オッサンWikipediaレベルのひけらかしご苦労様」とか言われるがオチなので書きますまいが、で、今現在のネット社会。

何にも変わってない。それどころか、緩やかとは踏んでいますが、社会はネットと深くシンクロすることで、劣化してしていっている。

俺は、こうなると、踏んでいたわけです。ですから、ネットには何のアウトプットもせず、ひたすら「RAM」に徹し、あとは情報をキャッチアップするツールとしてと、コミュニケーションツール、あとは特に接頭句をつけず、ツール。それしか使ってなかったのです。

ここに、時間使って何かアウトプットしたところで、仕方ないだろうなぁ。みたいな思いがずっとあり、同じアウトプットをするなら、全力でリアル、すなわち学業やビジネスに振り向ければいい、そう考えていたわけです。

一大転機は2014年。フリー、すなわち独立、個人事業主になったことです。フリーランスは「受け身」で仕事は取れません。既存取引先との関係も重要ですが、セルフプロモーションは必須となります。

しかし、やっぱり「ここでセルフプロモーションなんかしても・・・」みたいな悟りがあり、独立と同時に勤務先から俺個人に幸いなことに引き継いだ受託に注力、あとは人づてを頼りに、開拓に励んでいた日々。何が言いたいかって、何としてもフリーで大成せなあかん。ネットに書き込んでる場合じゃないわな、って話だったってこと、「セルフプロモーション」なんて書こうものなら、ネット民は「プッ!」みたいな事いい、スレを立てては24時間手取り足取りヲチしては、ああだのこうだの好き放題論評、それでお終いじゃないですか。

考えが変わったのは、偶然仕事を通じ出会った、近所に住むササキタイキさんとの出会いでしょうか?

当時彼は、業界に足を踏み込んだばかり。クラウドソーシングで1文字0.1円みたいな記事の執筆からはじめ、徐々に受注が拡大してきた頃でしょうか?

話していてとても気が合うし、俺を「先生! 業界のイロハを色々教えて下さい!!」とか言ってくる。確かにライターや編集者としては先輩かも知れない。でも教えられることなんて俺ないし、逆に彼のスペック(彼を完全宝の持ち腐れにしていたこの社会って・・・)にこちらこそ驚愕、俺こそ「敵わない・・・」とか思う事も多く。

一緒に酒を飲んでいるときに、「はまがさん、SNSやってないんですか?」と。「mixiもTwitterもFacebookもローンチからすぐアカウント開設、すなわち古くから所有しているけど、書き込まない。理由はry」みたいな話をしたのですが、「もったいない話ですね、やりましょうよ」みたいな事を強硬に・・・。

「やるなら本名でやりましょうって!」と。

でも俺、本名開示したくない(会社員時代は本名でしたが、ライター業も別のペンネーム使用で貫き等しています)し、みたいな事を言いましたが、「ハンドル考えて、是非」

彼の「強力な圧し」に負けちゃって、別アカウント・テキトーwwに考えたHNをもって、アカウントを開設。

気づけば、万単位でツイートしてますね。客観的に見るにせい、きわめてよろしくない傾向だと思います・・・

よく一緒にササキさんと酒を酌み交わしていた、俺の古くからのライター仲間だった八木もなみさん(≠彼女可愛いですが、彼女ではありません、交際したこともありません、恋愛感情抱いたこともありません・・・、また彼女も媒体に記事書くときに使わないハンドルネームです)も同時に参入したのですが、彼女もネットへの持論や感想が俺にきわめて近く、ツイート以前にRTもいいね!もしなくなってしまっている。

八木さんに聞いても、やっぱり「ネットくだらないんで・・・。Twitterは最悪」みたいな反応。

グダグダ書いてきましたが・・・

最初に何とか潜り込んだ会社こそ、2007年で「流石にもたない」と退社してしまいましたが、痛恨のリーマン・ショックによる派遣切り、その後の9ヶ月にわたる無職・求職期間を除き、これまで何とか仕事をこなしてこれたのは、ネットに浸からなかったからだと、信じています。

もし25年近く前に、PC-VANだったりどこかのTeacup BBSなんぞに「はじめまして。はまがと申します」みたいな書き込みしていた時点で、俺、終わってたに違いありません。多分「ネット中毒」「ネット廃人」になっていて終了でしょう。

あくまで「ネット=道具」と割り切っていた。テクノロジーやら今でいうガジェットやら、興味まるでなしってわけじゃないですよ。寧ろ真逆です。iPhoneだって2008年の3Gから持っているし、iPadも2010年に初代から購入しているし、2年に1回はリプレースしている。impress Watchやg.o.r.iさん運営のgori.meのチェックは欠かさない。

ただ、道具と割り切り、個人・仕事のコミュニケーション目的のメールやLINEの類を除き、何の発信もしなかった。

大袈裟に言えば、ネット社会に一切迎合しようとしなかった。ネットで情報をキャッチアップする一方、新聞や雑誌、そして新刊や名作はくまなく目を通し続けた。現在、これら「紙媒体」を紙で読むことはほぼなくなり、電子版に課金し、iPadで読むようになっていますが、それは紙からiPad、すなわちデジタルへ変わっただけのことであり「情報をキャッチアップする道具が紙からネットへ主軸を移し」とはなりません。おカネ払って読み続けている。

様々なこの世の激変をくぐり抜け、俺のような「小物」が今までなんとかうまく生き延びてこれたのは、そうとしか言えないですよ。

何が言いたいかというと、まぁスマホだネットだを良く覗く、そりゃいいとして「なんだかこのネット社会って気持ち悪いところだね。ヘンなヤツばかりだし」みたいな感想お持ちの方。無理に書き込む、写真だ動画をアップする、やめておいていいんじゃないですかね? って話ですよ。

俺と同世代、もしくは上の世代だけじゃない。若者もしかり。

同じく「ネット社会にNO」「ネット気持ち悪い」っていうなら、無理にインスタ映えに血祭りを上げたり、TikTokでダンスの真似をアップしたり、しなくていいでしょうと。若者は皆インスタとTikTokに魅了され、やらない子は捨て置かれている・・んなバカなと。

そのセルフプロモーション以前の問題で、「俺(私)はそんなに世間様に向けひたすら前へ出たくない、休み時間や通学の時間はひたすら活字を読むのが好き」そんな若者いないとはいわせません。結構な割合でいるはずです。

寧ろ、若いのに可処分時間の使い方をよく分かっている子だと、評価してやっていいのでは? と思います。 

スマホ使うな、持つな論を振りかざすつもりは断じてない。いや、この時代絶対に持った方がよい。逆に持たせなくてどうする? と思います。

このnoteなんてまさにそう。アプリを入れるなり、Safariでブックマークに入れておいて損はない。課金が必要な記事もありますが、無料コンテンツでも、かなりの腕と含蓄・知識のあるオーサーによる良質な記事が、かなりの数読める。

朝日新聞や毎日新聞あたりが力を入れる電子版を契約し、家族で読むもよし。

Kindleアプリを入れ、親にKindle Unlimitedを契約してもらえば、何百万の本が読み放題になる。dマガジンアプリもまた然り。

それに日本国憲法にもある「教育」。

スタディサプリをインストールし、親に契約してもらえば、数多くの有名講師による授業が自宅で視聴できる。

あとはチョコチョコ好きなタレントのブログなり、興味の範疇のコンテンツに触れる。

発信の類は家族と友達とLINEする以外、しない。とにかくネットコンテンツはひたすらRAMに徹するんです。

良く考えてみて下さい。これだけあふれんばかりにコンテンツが存在、サブスクリプションで従来では考えられないコストで、さらに良質なコンテンツに接触することができる。

それらに「接触」しているだけで、1日の可処分時間使い切っているか、足りないかで間違いない。

無論のこと校則や社規でネット活動を禁止している・・・なんて事例を結構あるはずです。「こんな個人発信可能な時代に昭和的」とかいうでない。なぜ禁止という判断を下さざるを得ないのか、良く考えてみて下さい。

無理に、個人で発信なんかしなくていい。ユニークの記事や画像、動画の類のみならず、ニュースへの言及、記事のシェア、RTやいいね!もしかり。しなくていいんだぞ、と言いたい。

Twitterで既に万単位でツイートしている人間がいう言葉でもないでしょうが、老若男女問わず、今こそWebは「RAM」を勧めたい。

元日、とあるツイートに150も「いいね!」がつきました。スマホネイティブな若者にとり「どうすればそんなに・・・」と思うかも知れない。

でも、いちいち理由開示するつもりもない。今も昔も「いいね!」なんて1つも欲しくない。顔見知りからもらうと「ホッ!」とはするけれど、あとはどうでもいい。

「そんな『昭和』に言われたくねえよ!」と言われても・・・結構「いいね!」要らないから。そんな若い子、多いと思うんですけどね。


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