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福田翁随想録(40)

 宗教とはそもそも何なのか

 朝、ウィーンのホテルのカーテンを開けると、あれほど賑わっていた街の通りに人影が全くない。
「国際紛争が起こったのでは?」
 という、不安とも緊急感ともつかない予感が一瞬頭をかすめた。
 西ベルリンからずっと厳しい検閲を受け、さらに東ベルリンで輪をかけた検査を受けてきた興奮の余熱が残っていたためかもしれない。
 私がヨーロッパを一巡した一九六八年当時、ウィーンには連合軍が進駐しており、もちろんソ連軍も対峙していた。東ヨーロッパの国々はいつソ連軍が侵入してくるかと鬱々とした雰囲気があった。国境を接しているオーストリアとしては自ずと国際情勢に敏感にならざるを得ない。
 慌ててフロントに問い合わせると、なんとこの日は土曜日だった。西側ヨーロッパは週休二日制で、この日も一切業務を止めて休息していたのだ。スイスのある州では驚くべきことに仕事らしい仕事をする者には罰則が加えられるという。
 日本は高度経済成長期の入口にあって猛烈社員たちは昼夜残業をいとわず働きまくっていた。私は人影ひとつない静まり返った朝の街を散歩しながら、日本人にもし西欧並みの週休二日を強制したら黙って従えるだろうか、日本人の気性としてこのような生活パターンは受け入れ難いのではないかと考えていた。
 そんな杞憂にかかわらず、やがて日本にもこのシステムが組み入れられ、当初は銀行や郵便局まで休まれては困るという声もあったが、いつしかそんな不満や心配は消えていった。
 日曜日には家族そろって教会に出かけるという風習が支配的な欧米の伝統を思うにつけ、宗教の底力を認めざるを得ない。

 宗教は人命を尊重し人々に平和と幸福をもたらすものであるはずなのに、中近東などでは熱心な教徒が流血の惨事を繰り返している。「これが宗教家のなす所業なのか。そもそも宗教とは何なのか」と疑念を抱かされる。
 異教徒間の抗争は昨日今日始まったものではなく、百年、千年単位である。たとえば大国の大統領などが両者の仲介役を買ってでて握手させれば即解決するような、そんな簡単な話ではない。
 イスラエルとパレスチナの紛争をみても、宵越しの金は持たない式の単細胞な思考では理解できない。
 ユダヤ人国家を千年の悲願で実らせ建設しても、なかなかパレスチナの理解は得られない。空港からエルサレムに向かう途すがら頭に白布を巻いたアラブ人の群衆をよく見かけた。単一民族による単一国家ではない国家経営の難しさがあるに違いない。
 エルサレムの旧市街にある「嘆きの壁」の辺りはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の圏内になるが、大の男が鼻汁の垂れるのを拭きもせず涙を流しながら聖典を誦し続け手から離さない。あの人たちにとってなにが生きがいなのか、なにが幸福なのか、死をどう考えているのだろうか。

 エルサレムのシオンの丘にあるダビデ王の墓に詣でた時のことである。
 頑丈な石造りの地下に降りて行くとどこからか風が吹いてきて、頭に載せていたハンカチが舞い上がりそうになった。
 王墓を安置する建物の天井を見上げると、二千年の年月の煤をうけてかタールで塗り込められたようになっている。いつから供えられているのかローソクの燃えかすが山のように盛り上がっていて、まるで滝のようになっている。これと同じものをウィーンのシュテファン大聖堂でも見たが、五十年、百年ぐらいではあそこまで積み上がらないだろうと思うほどの塊で、思わず人間の持つ業の深さに戦慄を覚えたほどである。 
 また教会建築にしても、執念深いとでもいうべきか、寄金を待って工事を進めるといういつ完工になるのかわからない、気の遠くなるような建築計画を息長く続けているというケースも決して珍しくない。
 さらに驚いたのは、黒衣を身に纏った顔中鬚だけのオーソリティが黙然とひたすら聖書を誦しているのを見た時だった。
 この篤信者はいささかも倦きる様子もなく、小さな明かり窓からの光を頼りに、さながら今坐って今読み始めたような風情だった。

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