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縦走路を前にして

 
 見晴らしの良い竜野山の頂に坐り、やおらリュックに入っていたレモンを齧ると、信じられないほどの甘い果汁が柑橘系の香りを伴って口の中いっぱいに広がった。
 その瞬間、驚愕とともになにかが覚醒させられたように思えた。
 ――味覚が激変している……。
 いつもの強烈な酸っぱさが微塵も感じられない。なに事が起ったのかしばらく理解できなかった。
「食え、食え、もっと食え」
 パニック状態にあるかのように、荒々しく「貪り、齧り尽くせ」としきりに求めてくる。
 ――きつい登攀で大量に掻いた汗のせいなのか。
 晩夏。麓ではまだまだ三十度越えの厳しい日が続いていた。だが標高千七百メートルのここ竜野山山頂では二十度を下回っているはずだ。百メートル標高が上がれば一度弱は下がる。急峻な隘路登攀で一気に上がった体温も林道越えの涼風に晒されれば急速に下がっていく。  
 冷静さを取り戻した意識がひとつの答えを導き出した。
 大量の水分を失うと人の味覚は変わるものらしい。極限を超えると防衛本能として失われたものを猟奇的に欲し、補おうとするものなのだ。もしかするとレモンに限らず、苦いものでも渋いものでも信じられないくらいの魅惑的な味に変じさせてしまうのかもしれない。身を守ろうと必死に渇望するものを獲得、充足させようとして。 
 そう考えてくると、自分のオリジナルと思っていた感覚が果たして固有のものだったのかどうか確信が持てなくなってくる。自分が欲しているという感覚は、実は自分の意識からではなく、肉体の防衛・維持管理本能から生まれ出てきたものなのかもしれないと思えてくるからだ。危機的な条件下では、自分独自の感覚というものは消え、誰しもが単一の感覚を持たされてしまうのではないだろうか、と。
 ――それにしても、なぜレモンなどをリュックに入れてくれたのだろう。リンゴやミカンでもよかっただろうに。
 帰宅したら真っ先にその理由を奥さんに訊いてみようと思う。
 一息入れていた間に、肌は汗でじっとり湿った下着の気化熱ですっかり冷たくなっていた。
 眼下の竜野尾根縦走路の起伏にとんだ稜線がしきりに誘ってくる。
 延べ十五キロ超の縦走コース。美園山、知久山、滝ノ岳などのいずれも標高千五百メートル越えの峰々が連なる。
 残ったレモンの齧りかけを皮ごと口の中に放り込むと、立ち上がった。
 ――この意識も、行動も、自分だけのオリジナルなものじゃないんじゃないだろうか。
 そんな疑念がふと浮かび上がる。
 ――今回の山行を計画したのも自分自身が求めたものではなく、なにか危機的な条件下に置かれたせいで防衛的に出てきたものじゃないだろうか……。
 陽炎こそないが、強い日差しに何もかもがマックスに照度を高めていた。無自覚にサングラスを手にする。眩光を軽減させるためなのか、それとも身を引き締めるためなのか、自分でもよくわからない。
 今回の山行登山計画で一番愉しみにしていたはずであろう縦走コースを、私は夢遊病者のような心持ちでゆるゆるとトレースし始めた。   

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