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残像に仄見えるもの


 老夫婦が洒落たスチールの洋風長椅子に並んで坐っている。
 富豪の邸宅跡の広い敷地が一般公開されていた。誰もが憩える贅沢な公園だ。その小高くなった丘の一角に芝生が敷かれた場所がある。
 風もなく陽が当たっていて、とても快適そうだ。二人は背中を丸めてただ坐っている。言葉を交わすこともなく、借景となっている山並みの辺りを見やっている。
 と、その時、視線を感じたのか二人が同時に振り返った。 
 私が腰を下ろしているベンチとはかなり離れている。声を掛け合う位置にはない。二人と目が合ったような合わないような曖昧なちょっとした間があった後、二人は申し合わせたように向き直り、山並みの方へ顔を戻した。
 その後も立ち去りがたく、そのまま二人を眺め続けていた。
 私にも注がれている視線が感じられて振り返ると、気まぐれな風に想いを絶たれた銀杏の黄葉が舞い落ちてきた。その混じり気のないイエローの絨毯と樹々の奥に色濃い気配を感じる。
 あろうことか、またあの時の老人の姿が立ち現れてきた……。
 
 バルビゾン村で写生三昧の日々を過ごしていたさる日の昼下がりのことだ。
 なんの制約も、なにものからもすっかり解き放たれた時間と空間に身を委ねられる贅沢な日々を過ごしていた。バルビゾン派の画家たちを魅了した佇まいとは同一とはいえない村周辺を、ミレーやルソーが描いた風景画の名残りを求めてさまよい歩き、気ままにスケッチしまくった。
 早春。しばらくぶりの晴れ間。最適なデッサン日和だった。外へ出るとすっとするような空気がとても心地よかった。
 村を貫く通りを突っ切り、小高い丘の上に足を向けた。いくら歩いても疲れを感じなかった。樹々が途切れたところで目を見張る景色に出会った。フォンテンプローの森が何物にも遮られることなく遥か遠くまで広がっていた。うす水色の空との境界に吸い込まれていく気がした。
 画材を取り出し描き始めた。ひとしきり描いたところで、湯を沸かしコーヒーを淹れた。時の過ぎるままにくつろいでいるとモチーフと一体となる錯覚に捕らえられた。
 どこかで小鳥が誇らしげに囀っていた。名も知らぬその小鳥の鳴き声に聴き入っていると背後で物音がした。振り返ると、一人の老人の姿があった。長い二本のバゲットが飛び出したカーキ色のリュックを背負っている。どこから現れたのか訝しく思いながらしばらく見遣っていると、老人は俯いたまま背を丸めて村の方へ向かって緩やかに歩み去って行った。
 その後ろ姿が楔のように脳裏に打ち込まれてしまったようで、帰国してからもなにかの拍子に前触れもなくふっと立ち現れてきて、しばらく行為も思考も停止させられることが幾度もあった。
 時の流れに融け込み、天地の移ろいに馴染んでいる佇まい……。
 どういうつながりで残像が立ち現れてくるのか。帰納の先に仄かに垣間見えてくる予感はしているのだが、なにを伝えようとしているのか、なにを気づかせてくれようとしているのか、未だにわからない。
 

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