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新幹線は、すでに「どこでもドア」かもしれない
富山の次は、長野!
2015年3月14日、私はこの日に走り始めた北陸新幹線「かがやき」に乗っていた。金沢と東京が2時間30分で接続されたことはもちろんだが、富山の次の停車駅が、長野!という事実にもいたく感動した(北陸に土地勘のある人には共感してもらえる気がするのだが、どうでしょう)。
富山県と長野県は、地図上では接しているものの、北アルプスの険しい山々に阻まれて、富山のとなりに長野がある感覚は無かった。
新幹線の開業以前、金沢から鉄道で東京へ行くためには、日本海に沿って(当時の北陸本線で)新潟県南部の上越市まで北上し、そこから内陸へ入って越後湯沢に至り、ここからようやく上越新幹線に乗り換えて東京を目指す行程だった(このとき金沢・東京間の所要時間は3時間50分程度)。その車窓には、目の高さにある日本海や断崖絶壁、冬には風雪にさらされる海岸沿いの町々や豪雪地帯の雪の壁があり、もちろん乗客として列車に揺られているだけではあるが、日本海側から太平洋側へ「難所を越えていく」感覚があった。
新しく作られた北陸新幹線も、北アルプスをトンネルですり抜けてしまうような大胆なルートではなく、地図上はほぼ北陸本線に沿って北上し、上越市から南下して長野につながっている。ただし当時の北陸本線が、海岸線のわずかな土地に張り付くように敷かれていたのに対し、新幹線は同じ区間をほとんどトンネルで走り抜けていく。東京方面に向かう新幹線が富山を出発すると、数分間は左手の車窓に日本海を眺めたあと、連続する長いトンネルの闇の中をひた走り、次に外の光を感じたときはもう長野に近い緑の中を走っているのだ。
そんな新幹線の移動を体験して、これは「どこでもドア」だ!と感じた。時間の短縮だけでなく、トンネルによって途中の風景がなくなったのが大きな理由だろうと思う。これまで車窓にあった数々の難所を目にしないで移動が完了している、この感覚は「どこでもドア」に違いない。
移動する体験とは
A地点からB地点に移動するとき、地面と同じ高さで移動する鉄道(在来線)だった時代は、窓外に町並みやそこで暮らす人たちの営みを目にしてきた。たとえ能動的に眺めなくても、その風景は私たちの潜在意識に入り込み、移動する体験を作っていたのだと思う。移動の目的がビジネスではなくプライベートな旅行であればなおさら車窓を意識する機会も多く、手に入れた情報量も多かったはずだ。
「移動する体験」とは、その移動にかけた時間の長さだけでなく、眼にしてきた沿線の風景や、乗り換えの駅で感じる気温など、移動に伴って変化していく様子を感じることではないか、と思う。
「どこでもドア」の発明を待つまでもなく、移動する感覚は消えるのかもしれない。「富山を出ますと、次は長野にとまります」という新幹線のアナウンスを聞きながら、そんなことを考えていた。
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