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地図はGoogle Mapsに、時刻表は乗換案内になった、それってどういうことだろう

タイトルの件について、読書から考えたことのメモです。

地図とGoogle Mapsは何が違うのだろうか。
地図(紙製の地図です)は、現在地と地図上の位置を照合し、目的地への経路を確認した上で現実世界の交差点をどの方向へ進めばよいのか、自らの判断で選択していく。
一方、Google Mapsは目的地まで連れていってくれる。地図を見なくてもナビの指示どおりに進んでいけば目的地へ到達する。それはナビゲーション機能であり、自分の判断はあまり介在しない。おかげで、スマホさえあれば基本、どこへでもたどり着けるようになった。

以前に読んだ『オートメーション・バカ』(ニコラス・G・カー)で興味深いエピソードに出会った。
北極地方を旅するイヌイットのハンター話。むかし彼らは氷上とツンドラを、風、雪のふきだまり、動物の行動など様々な知識によって自分の位置を感覚的に把握することができたため、目印がなくても移動することができた。ところが現代のハンターはGPSデバイスに頼る機会がふえている(!)ため、いったんデバイスが故障するようなことがあると遭難してしまうケースがふえているらしい。
GPSによって僕たちは世界と分断されてしまったのだ。

同様の話が『遅いインターネット』(宇野 常寛)にも少し違った確度で論考されていた。
Googleのビジョンは地球上のあらゆる情報を整理することで「人々を世界とつなげる」ことだという。Google Mapsも、従来の地図を強化することでその思想を実現しようとした。
ところが上に書いたように、Google Mapsを活用する人々は、逆に世界に触れる機会を失った。そこで登場したのがIngressというゲームだ。地図にゲーム性を持たせることで人々の興味を世界へとむけなおした。そのコンセプトを強化したものがポケモンGOである。ところが今度はキャラクターへの依存が高まりすぎて、世界との接続には失敗している(キャラクターの収集が目的になりがち)のではないか、との見立てだった。

いずれも面白い話だった。

さて、時刻表の話。
以前、何かの雑誌(たしか『鉄道ジャーナル』)に衝撃のエピソードを見つけた。
最近(いまは2020年だ)、大学の鉄道研究会のメンバーは『時刻表』(書籍)をあまり使わないのだという。代わりに乗換案内アプリを活用して旅を計画するらしい。いや、それは実に正しい方法だ。
ただ『時刻表2万キロ』(宮脇俊三)に影響を受けた身からすると、なかなか複雑な心境ではある(宮脇俊三氏は時刻表を愛読し、鉄道旅行を文学の域に高めた作家)。

そこで「時刻表」(書籍)と乗換案内(アプリ)は何が違うのだろう、と考えてみた。
おそらく上記の、地図/Google Mapsの対比と似ているんじゃないか。
(趣味的な)「時刻表」の使い方は、線路の上を走る様々な列車たちをどのように乗りこなせば目的地まで「面白い旅」が作れるか、そういう構想を練るための道具だったと思う。
「…だった」というのは、私自身も時刻表のページをめくる機会はめっきり減ってしまったからだ。
むかし(スマホが普及する以前だろうか)、時刻表をひらいて新幹線から在来線へと旅の線を紡いでいく行為は、単なる作業ではなく、どのように世界とつながることができるのか、そういう好奇心が起動する時間だった気がする(もちろん鉄道が好きな人に限った話として)。

もうひとつラフな見立てなのだが、旅行中の様子をInstagramのようなSNSに投稿するとき、そのフォーマットでは、その旅に至った「プロセス」(例えば時刻表と格闘した思い出)を表現するのは難しい。効率的に、映えるスポットへ到達し、自己表現としてのスナップショットをシェアする。旅の要素はそういうものに変化しているのかもしれない。




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