見出し画像

#2020年 私のふりかえり

はじめに

こないだ2019年の振り返りを書いたと思ったらあっという間に大晦日。
あと数時間で2020年も終わります。
今年最後の記事となりますが、去年と同じようにゆるーくふりかえります。

COVID-19が新しい私に私を出逢わせた

高校2年生の頃にインフルエンザに罹患して以降、免疫がついたのか
なぜか今の年齢まで一度も罹患したことがないこともあるんですが
前々職の仕事柄、インフルエンザ予防のための習慣が身についたおかげで
普段から用心をしていることを継続して過ごしつつも
専門家の「正しく恐れる」という言葉が身に染みる今日この頃です。

とはいえ日常の変化はやはり大きかったです。
3月後半から前職がテレワークになり、自宅が職場になったことは
「うわ、ちゃんとスイッチ切れるんかいな」という不安がありましたが
結局最初だけで良くも悪くも以下のような新しい変化を齎してくれました。

1.体の変化
テレワークで通勤が一気に無くなり、体を動かす機会も激減…。
だけど通勤していた頃も食べる量が変わらなかったことと
デリバリーサービスを使ってみたくてジャンクなものを食べすぎる生活…。
毎週通っていたホットヨガのレッスンもスタジオがお休みになってしまい
GWにさしかかる頃には体重も体脂肪率も過去最高値に。
ここから逆に火がついてしまい、3ヶ月かけて食べる量や運動を工夫して
体重を9kg・体脂肪率を6%落とすことができました(その後7%減)

そこから体の変化が楽しくてしょうがなくなってしまい
そして再開されたヨガのスタジオのレッスンもうまく作用して
体重は筋肉量が増えた分一気に減ったりすることはなくなったものの
結果的に体重も体脂肪率は通勤していた頃よりも3kg以上落とせていて
前々職にいた頃よりも痩せました。

今はダイエットというよりも体の変化もトレーニングも楽しくなってしまい
半年かけてスピンバイクやバランスボードまで自宅に揃えてしまいました。
そして絶賛トレーニング継続中です。

画像1

画像2

運動神経ないのに・しかも運動大っ嫌いなのに…
ジムなんかすぐに挫折していた20代を送っていた黒歴史あるのに…
トレーニング後にプロテインを摂る生活するなんて思わなかった(笑)

今の土日のルーティンは録画したドキュメント番組や大河ドラマを観ながら
スピンバイクを1時間以上漕いでそのあとバランスボード乗ってスクワット。
そしてフォームローラーで太ももの付け根をほぐして痛さで呻くこと(笑)

来年は年末に観た劇場版仮面ライダーゼロワンのゼロワンとバルキリーの
バイクでのアクション・ライディングシーンに触発されてしまったので
ベースバイクのCRF450Lに乗れるほどの体作りをしたい!となっています。

CBのナナハンは卒検受かった後に教習所で乗せてもらいコース走った時も
ほとんど膨らまずにコース回れたから大型いける!と手応え感じたので
自動車と違ってトラウマもなくバイクと向き合えているのもありがたい…。
来年は体調を万全にして先立つものをしっかり貯めて限定解除しに行きます。

2.気持ちの変化
いつも以上に「今だからこそ自分の気持ちに嘘はついたらいけない」と
惰性で進んでもいいか、と思っていたようなことも偽れなくなりました。
その最たるものが転職でした(笑)

きっかけは「最近なぜ僕のことや会社のことへの当たりが弱いんですか?」
この社長からのSlackでの問いが一発目のきっかけ。
「え?なんで?オフィスでの雑談で憤ったりおかしいって言ってたことあったけど…
 その時あなたはそこにいなかったよね?なにこの質問…」
この問いがテレワークが始まったばかりでありその違和感が全ての始まり。
この瞬間「ここに居るべきではない」という直感が走っていたんですが
きっとコロナ禍やテレワークではなかったら気付かなかっただろうし
気付いていても現状維持を迷わず選んでいたと思います。
(後日ひどい真実を知りましたが本当に吐くほどえぐいので自主規制)

辞めると決めて1ヶ月足らずで次の会社がとんとん拍子に決まった後
「嗚呼、進めてもよかったんだな…」と心から思いました。

そして10月からSalesforceのパートナー企業で新しいキャリアをスタートし
インプットしたもの・感じたばかりの話をアウトプットできました。

ありがたいことにスキの数も短期間でたくさんいただけました。
来年もSalesforce関連の記事をマイペースながら書いてゆきます。
みなさま、どうぞよしなに。

今回の環境の変化はひっくり返るほどというと言い過ぎかもしれませんが
私にとってはこの環境と直感を生かそうと自然と迷わず反応できていました。
しかもとても意味のある選択をすることが出来た有意義な時期になりました。

今年は決意がちっとも揺らがなくてかなり強気な自分に出会えました(笑)
これでいいんだともっと来年は自信を持って過ごしたいです。

COVID-19がいろいろな感覚を可視化してくれた

今年の頭にクルーズ船での感染者の話題からざわつき始めた頃から
これまでの平時で多くの隠れていたものが一気に顕在化したと感じました。
今までも当たり前のようにあったというのに…ということだらけだよね、と
子供の頃からずっと見聞きして感じ取ったものが一気に出てきた感じ。
そんな私が特に感じたものを箇条書きで書き連ねようと思います。
(意見には個人差があります、念のため)

・善意を装ったタチの悪い悪意
・正解のない怖れのせいで違う恐怖を人が作り出している
・卑怯者が過ちのひどさを盾に完膚なきまで見知らぬ人を叩く愚かさ
・正義感の使い方を知らない残念な人の増殖
・普通という概念なんてつくづく脆く儚いもの
・通勤しなくても仕事ってできる
・人は病よりも恐ろしい
 (コロナ禍で魂が病んでいる人はもう救えない所まで来てしまった感)
・なによりも健康第一
 (だけどまだまだ私は平和ボケしている)

個人的に衝撃だったのは、やはり志村けんさんのCOVID-19による死去。
1年前に亡くなった祖父の命日の1日前で、一年祭(法事)で帰省する予定も
国内初の東京の外出自粛要請の日にピンポイントに見事にかぶってしまい
家族会議を重ねた結果、東京在住組は泣く泣く飛行機もキャンセル。
一年祭に行けずに祖父に挨拶に行けず家族にもこういう理由で会えない、
「会いたい時に会いに行くことが当たり前じゃなくなったということ」
身を以て思い知ることになってからわずか数日後の日本の宝の訃報でした。

幼い頃、言葉がものすごく遅くて表情も乏しくて(今も乏しいけど)
泣いてばかりだった記憶しかなかったのに
小学生になったばかりの頃、家の中で声を上げて笑うきっかけをくれたのは
偶然「クイズダービー」のあとで流れてた「8時だヨ!全員集合」でした。
(世代的に最終回まで短くてちょっとしか観る機会がなかったんですが)

人の人生はさまざまでも時間はどんな人にでも平等に与えられている中で
特に彼のように数多くの努力を積み重ねた先に充実した生き方をなさっていて
人生の折り返しをある程度過ぎて「楽しみ尽くす域」にいるような方が
こういう形でいきなり一生を終えることなんて…という衝撃もありました。
初めて他人の人生に対して「理不尽」という気持ちになりました。
「本当にいないの?」という不思議な感覚が未だに抜けません。

そして所謂「コロナ禍」という言葉が生まれた頃に感じた違和感のことも
せっかくなのでここで書いておこうと思います。
(以下、意見には個人差があります)

1.戻れないってなに?
「もう今までの日常に戻れない」という言葉を目にすることがよくあり
…そもそも今までの日常ってなに?と思わずにいられませんでした。
どんなに外出時マスクが手放せなくても日常は変わらず流れているのに
なんで絶望するふりや感傷に浸りたがるの?どんな時でも今しかないのに。
例えば今「会いたい人に自由に会いにいけない」かもしれないけど
後ろ向きな言葉に「今は」という言葉をどうして頭につけないのだろう?
ないものを嘆いたりすることよりも、手探りでも最前線で向き合う人々の
負担を軽くするため一人一人の行動が生きることをした方がいい
んじゃ…。
出来ることに限りがあっても出来ることはあるわけなので…。
「今のこと」と「これからのこと」は、この世界の中で生かされている以上
そんな言葉で投げ出したり、徒に手放してはいけないと私は考えています。

2.拒否反応が思わず出てしまったワードについて
「ニューノーマル」という言葉です。
なんかすごく気持ちが悪くてむずむずします。今も好きではありません。
これまでどこの何の基準のノーマルを指しているかもわからなかったのに
誰かの何かの基準と違う・変わったものに対してそんな言葉を作って
一方的になんか押し付けられている感じがものすごくするのです。
(繰り返しますが意見・感じ方にはには個人差があります)
同時に「ずっと変わらないものや大事にすべきことをお前は考え抜けよ」
そう常に自問自答しろとなんか悪いものを吹っかけられてる感じもします。

他人事とは違うけど、誰の手にも負えなくて時間や歴史が答えを出すものについては
とにかく時間に任せるしかない。
COVID-19についてあらゆる正しさを歴史が証明してくれるのなんて
どうせ私たちが死んでからでしか知りようがないんじゃないかと思うし…。
コロナ禍だろうがなかろうが「今各々できることにベストを尽くす」それでいいじゃないかと私は常にそう考えてそんな過ごし方をしているし
その中に「思いやり」「気遣い」「優しさ」「配慮」があればいいわけで。
私は模倣は出来ても真のそのプラスすべきものの感覚があまり理解できていないのですが
いわゆるそういうものを受け止めて実行できる人たちにとって簡単なはず。

今いる場所で何をすればいいか・何をするか・何がよかったか?について
今だからこそ大切にできること・できること・やるべきことを日々考えて
1日1日を大切に過ごしたいですし
たとえひとりの歩みは小さくても少なくとも今できることを続けたいです。

おわりに

今年も東京で年越しをすることになりました。
転職したばかりで有休がまだ付与されないというのもあるんですが
静かな年越しを選べていることは有難いことです。
そして今年もがめ煮を作り終わり、年越し蕎麦のだしを作る準備を
これからぼちぼち始めようかと思います。

画像3

味はいいけど圧力鍋で鶏肉が小さくなったのが今年のしくじり(笑)

繰り返しますが2020年もあともう数時間で終わり。
オンラインでもオフライン関係なく今年も家族含め数多くの方々に支えられ
色々な場面で大変お世話になりました。ありがとうございました。

2021年の日常が緩やかに前向きに変わり笑顔増える年となりますように。
来年もよろしくお願いいたします。

それでは今年もみなさま、どうか良いお年を。

記事や写真を好きと伝えてくださったり、ここがきっかけで繋がれると嬉しいです。※SNSへの記事のURLのシェアはOKですが、記事や写真自体を他媒体へ転載したい場合は必ず事前にご一報ください。