新しいUXに興味がある大学院生
こんにちは、犬派の大学院生です。
日常の何気ない経験から多様で新しい価値軸を発見する
というテーマに沿ってnoteを続けています。
前回の記事にて、テーマを設定した経緯をつらつらと書きました。
今回は、そこから発展して、今ぼくが興味のあるUX(ユーザーエクスペリエンス)についてお話しできればなと思います!
そもそも、UXとは
ここでいうUXは一般的なUXの定義と少し違うかもしれないので、先に説明しておきます。
まず、こちらが一般的なUX(ユーザーエクスペリエンス)の意味。
なんか無難ですね。
強引にまとめると、一般的なUXの理解は「サービス利用の気持ちよさを向上すること」だと思っています。
具体例としては、より快適に、不自由なくアプリを操作できるようにアイコンの配置やデザインを工夫する、などです。
一方、僕が目指したいUXは少し異なります。それは、「ユーザーのありたい姿を見つけ、支援する」というものです。
課題意識:猛威を振るうアーキテクチャ
なぜ、「ユーザーのありたい姿を見つけ、支援する」UXが大切だと思うのか、背景を語ろうと思います。
キーワードは、アーキテクチャの民主化です。
▼「ありたい姿」が食い尽くされる
現代社会では、資本主義による「強く・速く・高く」を基準とした効率主義や、ビッグデータ社会の数値測定による過度にデータドリブンな意思決定は合理的で、弱いものを食い尽くしていきます。
弱いものとは、「代替可能な仕事」「お金にならないこと」「マイノリティ」など捉え方によって様々です。
ぼくはここに、「ありたい姿(=長期的な願望)」も含まれていると思います。
どういうことか。分かりやすい例が、あなたも持っているスマホです。
僕らは、休憩と思ってTwitterを触っても15分以上経ってしまいます
電車に乗れば全員が景色ではなくスマホを見ています。
もうしばらく会っていない友人のストーリーですらつい見てしまいます。
他にやらなきゃいけないことや、やったほうがいいことがあるのにもかかわらず、ショート動画を見てしまいます。
あなたも経験があると思います。こういった、依存に近い状態を作り出す短期的な欲求は超強力です。僕も毎日Youtubeを見ているのでよーーく分かります。やめることも大変です。
これは、人間が持つ本来のありたい姿(長期的な願望)を強力な短期的欲求がショートカットしている状態です。
そのショートカットは、内面的な成長を伴わないので、教育や労働、研究活動など様々な領域に長期的に表われてくるでしょう。
▼行動データでアーキテクチャが民主化した
なぜそのように、「やらなくてもいいと分かっているのにできない」といったことが起こるのでしょうか?
また、これらの問題は本当に私たち消費者だけの責任なのでしょうか?
使う人のリテラシーが高く、自制心を持っていれば、起こらないと言えるのだろうか。
これらの問題をアプリやUXを設計する企業側の観点から見てみます。
キーワードは「行動データ」と「アーキテクチャの民主化」です。
ここ数年で大量の行動データを収集できるようになった企業は、それを利用して主にオンライン上でアーキテクチャを設計できるようになりました。
スマホの通知をはじめ、パーソナライズ広告、短尺動画など、至る所にアーキテクチャが活用され、ぼくたちはその制限のなかで行動しています。
しかし、もし通知が来なかったとしたそのアプリを触っていたでしょうか。
ショート動画で、全く興味のない動画が連続で流れてきたら、見るのをやめるのでしょうか。
そういったアーキテクチャが存在しない世界線のぼくらは、やりたいことに夢中になれて、幸せだと想像できるでしょうか。
僕たちは企業に対して、そのアーキテクチャが倫理的かどうか?を求めていく段階にきているのだと思います。
▼気持ちいいだけのUXはクソだ
ここまで長々と話してきて言いたかったのは「UXで課題を解決して気持ちよくさせているだけではダメだ。その人のありたい姿によりそって長期的な目線を持ったUXが必要だ」ということです。
ユーザーエクスペリエンスの理想の姿
▼すごかった、スーパービーバーのライブ
突然ですが、ライブの感想を書かせてください(笑)
ぼくは大好きなバンドであるクリープハイプのライブはよく行くのですが、スーパービーバーというバンドも好きで、去年の秋に友達と行きました。
感想としては、「すごかった」以外の言葉が見つからなかったです。
盛り上げや、その場の音楽や、会場の大きさなどもあるのですが、うまく言葉にできないんですね。MCも感動しました。音楽は消えてしまうので、「今ここにいるから、このライブが楽しい!楽しいことが嬉しい!」って感じです。
もしかしたら、あまり期待していなかったからなのかもしれないし、オフラインだからなのかもしれない。もしかしたら、こうやって考えて抽象化しても、言葉や数字で測定できない価値なのかもしれない。
そして、これってスマホでYoutubeを見るのと真逆の経験なのでは?と思いました。
スマホは、アプリの中の自分が期待してしまっているし、自分がどれほど注視したか、課金したかでユーザーとしての価値をつけられます。
そこで、「こういう体験を届けることができたら素晴らしい」「これがユーザー体験か」というお手本に出会ったような感覚になりました。こういう経験を自分も創りたい!と思った瞬間でした。
ライブで学習してましたw
▼こんなUXを目指す!
ここまでを結論付けます!
今のところですが、僕が目指したいUXはこんな感じです。
内省的:課題(ペイン)ではなく、理想(ありたい姿)を想起させ、動かす
包括的:局所デザインではなく、体験(ジャーニー)の設計
数値化しない、言葉にしない体験を大切にする
時間軸(将来の予測、利得)や他者性(競争、比較)から離れている
純粋な利他性(人間性)に基づく、意図しない喜びや報酬がある
ユーザーは、規範や支配から離れ、美徳に基づく動機で利用する
今、ここにいる自分がそれをやっているから充足感や満足感を感じられる。
ここまで書いてきて、正直ユーザーエクスペリエンスという名前が適切なのかもよくわかりません。
でも、このUXというワードに対する危機感や熱量はあることは確かなので、今はそれを信じてずっと学習していきたいと思います!
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
参考文献
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